2016年02月29日

「あっ」と言う間に曳きこまれ、朝までに読み終えた面白さ!



青木孝安著「山村留学‥‥生まれ変わる子ども・親・村」(農山漁村文化協会 1600円+税)

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まさか、私がこの本をこのブログ欄で紹介するなどとは、考えてもいなかった。
期待ゼロで、なんの気なしに読みはじめた本。
ところがこの著書には、観念的に書かれたところが一つもない。 すべて 山間留学に参加した子どもの感想や、送り出した親の意見。 子どもたちを受け入れた農家の本音。 子どもを受入れてもらうまでの教育行う山村留学センターの建設秘話。 山村留学生を指導した現地の諸先生方や教育長のナマの声‥‥など、すべて本音が語られている。
なかには、著者の突飛な思い付きの根拠まで出てくるのだが‥‥。
ともかく、これほどまでに事実を並べられると、「参りました」 と言うしかない。 そして、爽やかな読後感が待っている。

読後、あわてて著者の経歴を見た。 1930年生れだから今年で86歳。 師範学校を出て中学校や小学校の教師を務めていたが、1967年に37歳の若さで安定している教師を辞めている。
決して、勝算があったわけではなく、また目論見があったからでもない。 ただ、かつて 教育を語る会のメンバーが心配してくれて、玩具メーカーの調査研究をやりながら家庭教育誌 「育てる」 の出版を開始したのは翌1968年。
この 「育てる」 の編集会議は 毎月開かれていた。 6月の編集会議で、夏休み期間中の 子どもの過ごし方について話合われた。 当時から 受験競争が激しくなり、学習塾が開設されて、塾通いが盛んになりつゝあった。
「受験競争の子は自己中心になりはしないか」  「高学歴で就職出来ても、職場に適合できなくなるのではないか」 「子どもの成長段階で、自然体験・労働体験が必要だと思う」 「集団生活を通して思いやりの心情を養うことが大切だ」 などの意見が出された。

学習目的を達成するために、各種の 「教材」 がある。 それと同じように、子どもにとって必要なのは 「体験材」 だと筆者は考えている。 自然を体験させるには、山村にある 「体験材」 を活用するしかない。 そこで、東京に近い軽井沢、那須、箱根、伊豆などを実踏調査をした。
しかしこうした観光地は、体験材としてはいずれも失格。
長野の池田町の人々に集まってもらって趣旨を説明したが、反応なし。 やっと隣村の八坂の村会議員のA氏なら、話に乗ってくれそうだと分かって説得。 そしたら 「二泊三日程度なら良い」と言うので、子供のほかに保護者20数人と自然体験をしたのが1948年と言うから68年も昔のこと。
これが記念すべき第一回の自然体験。
翌年はA氏の協力で周辺の農家の協力が得られ、40数名の子供が参加して 喜々として集落内を歩き回り、野菜の収穫を手伝ったり、近くの山へ登ったりして自然を満喫。 とりわけ、野菜中心の食事が好評だった。 この実践を通じて、筆者は 普通の山村農家に宿泊してこそ、自然体験が体得できることを知った。  体験材は、山村の農家にあった。

この2回の体験活動で自信を得た筆者は村長を訪ねて協力を要請した。 村長は全面協力を約束してくれたが、「どんな体験がしたいかによって 選ぶ農家が違ってくる。 どんな体験を求めているのか‥‥」 と言いながら、車で八坂村を案内してくれた。 この案内の車のなかで、筆者は次のような具体的な体験内容を想定していた。

・あの複雑な山道を歩くことによって、子供たちの冒険心をくすぐるだろう。
・3000メートル級の北アルプスの頂上に立ったら、感動と征服感を味わえるだろう。
・あの農家で農作物の出荷の手伝いができれば、農業労働の実体験が出来る。
・あちこちにある さまざまな植物や昆虫に触れれば、得難い自然観察が出来る。
・農家の暮らしに溶け込んで村祭りなどに参加すれば、山村の生活文化が体験できる。
・農家に宿泊し、家事を手伝い、働いた上で一家揃って食事をすれば、家族体験が出来る。
・渓流の近くで自給自足の生活をすれば、サバイバル体験が出来る。
・冬、雪や氷に閉ざされた寒さと冷たさを体験をすれば、本当の冬を体験できる。‥‥

この視察結果をもとに、次の年の夏休みに 体験出来る数々のことをA新聞に話したら、記事にしてくれた。
そしたら、想像出来ないことが発生した。
市ヶ谷の小さな事務所の3台の電話が、早朝から鳴りっぱなし。
ある程度のことは予想していた。 しかし、塾の勉強を最優先している人が多いはず。  なのに夏休みに子供を山村農家に宿泊させ、自然や労働体験を経験させることに賛同する人が、これほどワンサといるとは‥‥。
参加希望者は800人を越え、指導者を入れると宿泊者は900人の規模にもなった。
急いで八坂村に飛んでゆき、集まっていた50人ほどの村人に、筆者は出来るだけ具体的に分かりやすく話をした。

・子どもたちをお客扱いしないで、家族の一員として扱ってほしい。
・食事は特別なものはいらない。 農家で採れた野菜を中心に、普段食べているものでいい。
・庭の掃除、風呂焚き、雑巾がけなどの家の手伝いをさせて欲しい。
・農作業に連れ出して、いろんな仕事をやらせて欲しい。
・子どもが知りたいことや、やりたいことを聞き出して、できるだけやらせてほしい。
・仏壇の花飾り、水替え、村祭りなどの行事があったら、それに参加させて欲しい。

集まった村人の中には、おカネを貰って都会の子を預かるのだから、特別食を用意しなければならないと考えている人が多かった。
「それで良いのなら、試しにやってみようか」 と30軒の農家が受け入れを承諾してくれた。
しかし、900人に対して30軒は 少なすぎる。 しかし、最初から小さな村でなので 大きな受入れ体制を期待する方がムリ。 いろいろ検討した結果、3回に分けて 2泊3日の夏休み自然体験活動を実施して、予想以上の成果を挙げた。

こうした夏休みを利用した2泊3日の体験活動に加えて、職員の増加や ボランティア体制も充実してきたので、東京を拠点に土、日曜日を利用した 「ミニ体験活動」 を活発化させた。 日帰りか1泊程度の体験活動。 たとえは、次のようなもの。
・三浦半島の海岸線を歩くとか、三浦半島の自然を観察する活動。
・丹沢の山を従走するとか、秩父の山を歩く活動。
・葉山の海辺の生物観察活動とか、奥多摩の自然を観察する活動。 etc。

これとは別に、長野・八坂村だけではなく、もっと体験場所を拡げる必要があるという意見が出されて、北海道・十勝清水町に「少年自然の家」が設けられた。 上野からの夜行列車を利用し、廃校で自炊生活をするもので、農業体験は専ら酪農に限られていた。 蓄舎での牛糞処理や、牛追い体験、日高山脈登山、キャンプ生活、古老より開拓史を聞く体験なとがそれ。
一方南方では、五島列島・新魚目町に 「漁村生活体験の家」 が設けられた。 自炊生活と漁師家庭への民泊で、漁船に乗って対馬海流での定置網漁体験と 番屋での漁師食体験のほか、キリシタン家族と共にミサの体験も出来るもの。
このほかに、鹿児島・笠沙町の 「リアス式海岸体験の家」 とか、高知・土佐清水町の 「清流に暮らす家」 とか、三重・浦野町の麻倉島の 「無人島の家」 などがある。

こうした、夏休みを中心とした冬休み、春休みを利用した2泊3日を中心に、土、日を利用したミニ体験を経験した子どもの親から、「子どもが、もっと長く村に居たいというので、1年間続けて山村の学校へ通えるように出来ないか」 という意見が寄せられた。
村の学校へ通うと言うことは住民票を移し、親元を離れて山村へ移住するということ。

そして受け入れる農家でも、2~3日だとなんとか我慢して子どもに合わせている。 しかし、1年間となると話が違ってくる。
「性格が違う上に、しつけが全然出来ていない子がいる。 共同生活をしたことのない子どもを、いきなり農家に押し付けられても一緒に生活することは出来ない。 育てる会で、基本的な生活指導をしておいてくれないと、引受けるわけにはゆかない」 との意見が出されてきた。
例えば和式・洋式のトイレの使い方。 ベットで生活している子ともを畳の上の布団生活に慣れさせ、その布団の処理方法の指導。 テーブル食と ちゃぶ台食の食事の作法の指導。  正座が出来ない子どもの徹底した指導と、食べ物に好き嫌いがある子どもの指導、など。
また、子供が自由に活動してよいと言っても、この村では何が出来るかがわからない。 そういった事前の知識を与えてやって欲しい、というのだ。
それでなくても、夏、冬、春の休みを利用して八坂村を利用する子どもが、東京、名古屋、大阪をはじめとして各都市から、毎年1000人を超えるまでになっていた。 また、1972年には 「育てる会」 が財団法人として認可されてもいた。
このため、村の中に 「育てる会の専用活動拠点」 が必要不可欠になっていた。

かくして、1973年に 「山村留学センター」 の設計計画の作製作業や、役場の振興課長と同伴で土地探しが始まった。 しかし、土地探しは ことのほか難渋した。 というのは、理想とする土地はいくつも見つかったが、飲料水の確保が出来ないモノが多くて諦めざるを得なかった。
農山村には、長い歴史に裏打ちされた 「水利権」 がある。 このため、水を分けてもらうことは一大難事に。

それよりも困ったのが建設資金。 日本船舶振興会の補助金と一般公募を予定していたが、オイルショックという経済不況に見舞われて公募が予定通りに集まらない。 不足分を銀行融資で賄おうとしたが銀行がお断り。 地元の農協に申込んだが、定款上 融資ができない。 唯一の方法は、農家の農地を担保をとって農家へ貸すこと。 この迂回融資には反対意見が出て、何回となく会合を重ね、葛藤と苦渋を経て何とか融資が実現。
しかし、返済期間が余りにも短かったので、約束金利の上に延滞金まで加算され、ニッチもサッチも行かなくなってきた。
この時、数人の保護者が農協への延滞金利を立変えて支払い、支払期間の延長と金利引下げを農協と交渉をしてくれ、無事10年間で完済出来た。
こうして170人の収容人数を持つ山村留学センターが完成し、1976年から 「山村留学事業」 が開始された。
ということは、今年で丸50年の歴史と山村留学の実績を持っている勘定。

ここまでの紹介で、3章の半ばまできてしまった。 この著作は 7章にも及ぶ。 まだまだ紹介しなければならないことが多いのに、あっという間に紙数が尽きた。




posted by uno2016 at 10:33| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

除草剤、化学肥料が不要の神谷農法をご存知ですか?


上部一馬著・神谷成章協力「《スーパー微生物》農業」(ヒカルランド 1713円+税)

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私は、この種の革新的な農業については、かなり読んでいる方だと自負していた。
しかし、神谷農園については 全くのノーマーク。 この本を読んで初めてその存在を知ったというダラしなさ。
農園の園長である神谷成章氏は1930年生まれと言うから、今年中に86歳になるご高齢。
小学生の時に、日本初の洗剤を開発したというから、生まれつき発明などが好きだったらしい。
長じて微生物研究家に。 そして、40~50年前から 基本になる好熱菌の開発に着手したというから人並みはずれ。 そして、世界特許を27もとっているというから驚き。
一切の熱源無しで、土壌菌のプラントの中に配管を通せば70~100℃の熱風が取り出せる。 この配管に水を通せば熱水となり、お湯として使える。
「今では、スイッチ1つで1ヶ月かけて、じっクリ好熱菌を使って70~80℃で炭化させたり、3~15日の短期間で炭化させ、300℃まで上げることが出来る」という。 まるで、「手品見たいなワザの連続だ」 と呆れてしまう。

それと、1800~2000℃の高熱を出す超好熱菌が見つかったが、炉となる鉄などをみんな溶かしてしまうので、研究は一時 中断になったという。 1800~2000℃という高温を出す超好熱菌がいると言われても、私のような凡人には信じられない。
この好熱菌の研究のため、十数度も山火事を出し、地元消防士のお世話になったと言うから、はた迷惑な御人でもある。 
また、好熱菌の技術応用で、炭化ケイ素を繊維化する技術は、神谷氏が考案したもの。
プラスと、マイナス、ゼロの電子を記憶させた 炭化ケイ素。 光があたると空気中の窒素を取込み、熱を放湿するという原理。 当初は 1着が1万円もしていたが、最近では1000円ぐらいにコストダウンされている。 ユニクロの紳士用、婦人用下着の 「ヒートテック」 がそれ。
この炭化技術の 応用範囲は広い。 中でも 「ケーエヌ菌」 や 「キラ菌」 と呼ばれている資材は、一般家庭から生活排水の汚泥処理にも使用できるので、国や地方の公共機関からも発注があるとのこと。

神谷氏が開発した好熱菌をベースにした各種カーボン顆粒資材は、国内よりも海外での需要が圧倒的に多いという。
私にはその原理がよく理解できないのだが、この資材はトウモロコシ、発酵大豆、麦類、卵殻、ゴマ粕などを配合させて発酵させたものだという。 この成分中には 有機ケイ酸、ビタミン、炭素、アミノ態チッソ、総合ミネラルが含まれていて、病害虫に強く、抵抗力も強い。
このため、強健な農作物の栽培が可能になった。
強靭な野菜が育てられれば、虫が寄ってこない‥‥つまり、除虫材が不要。
また、神谷が開発したカーボン希釈液を1週間に1回葉面に散布すると、丈夫な葉っぱか育ち、葉っぱから電子がが放射され、虫を感電させるという。 つまり電子工学が応用されている。
さらに、連作障害も起らないというから、鬼に金棒。
このほかに、キラ菌は 塩分濃度が高い空港などに散布して、芝の育成を促すとか、サッカー場では根が深い丈夫な芝を育てるために、神谷氏の技術が採用されているという。

さらに驚くのは、超好熱菌の炭化技術を応用すると、冬場、外気が零下になっても、土が凍ることがなく野菜が栽培が可能になると言う。 信じられないことだが事実らしい。
ということは、冬場に野菜の栽培が可能になることは収益力が大幅にアップすることになり、笑いが止まらなくなるということ。
腰が抜けるほど驚くのは、この超好熱菌由来のカーボン希釈液を資材に塗布すると、その情報が記憶され、資材が氷りつかなくなると言うのだ。 例えば、凍結防止用の差込みポールに、1度この超好熱菌由来のカーボン希釈液 を塗布すると、ポールがこの情報を記憶するので、雨が降っても凍ることはないというから凄い。
同じことで、ビニールハウスの外側と内側に この超好熱菌由来のカーボン溶液を散布すると、表面が凍らず、室内を23℃前後に維持することが出来るので大変な省エネに。 これは、住宅の省エネ化に活用出来る技術かもしれない。
また、このカーボン溶液を土壌に散布すれば、地温が上昇して、土そのものが凍らない。 野菜に噴霧すれば、雪が積もっても野菜自体は凍らないというのだ。 信じられますか?
このカーボン顆粒資材を使えば、生育は2倍速く、栄養価は2~10倍、収量は3倍も多くが可能になる、と神谷氏は言っている。 まさしく有機農法。

こういったことが知られて、愛知・吉良町の神谷農園は連日視察者か訪れている。 神谷氏の教え子は1万人を超えるまでになってきている。 しかも、国内だけでなくオランダ、中国、タイ、ベトナム、カンボジア、フィリピン、韓国、モンゴル辺りからもやってくる。
海外ではこのハイテク農業に対してロィヤリティを払い、カネをかけて技術を学ぼうとしているが、日本ではカネをかけてまで学ぼうと言う動きは見られない。 TPPへの加入で追い詰められているはずだが、高齢化した日本の農業者には神谷氏の好熱菌のことを理解することが、土台無理なことのようだ。
国連が、神谷氏の技術を知り、低開発国への農業指導を要請してきた。 そのせいで、神谷氏の名前は広く世界に知れ渡ったが、国内では私もこの本を読むまではその存在を知らなかったのだから、情けなさは隠しようがない!
私のような年寄りではなく、生きの良い若者が神谷氏の懐に飛込み、その全てのノウハウを身につけて欲しいと熱望したい。

若者が、何故農業を嫌うのか?
「農業は重労働で、きつくて辛い、しかも休みがきちんと取れない上に、儲からない」 から。
これが、現在の若者に共通する農業観。 
このため、農家の平均就業年齢は65歳。 つまり、役人や教職員を定年退職した年寄りが、趣味で始めるのが日本の農業。 この人達に、日本農業の将来と食料自給率を任せられるとは誰一人として考えていない!  それなのに、農林省の役人の動きはあまりにも鈍い。
これを、真剣に問うてるのが神谷氏。
神谷農業の優れている点は、農薬・化学肥料、消毒材を全然使わないこと。
そして、何よりも有難いのは草が生えてこないので除草材が不要。
農業を少しでも経験したことがある者にとっては、夏の草刈りに寿命を縮めた思いがあろう。 その除草が一切行わなくて良い。  
野菜などは、「植えた後は、収穫時まで一切畑に入ってはいけない」 と神谷氏は指導。
そして、ハウスの中では 1年中 ジャガイモ、ナス、キュウリ、トマトが実り続ける。 化学肥料も、除草剤も、収穫以外の人手も一切不要のまま‥‥。
それでいて、生育は2倍近く早いし、収穫量は3倍。 ビタミンなどの栄養価は通常の野菜の2~10倍もある。
野菜や果物は生きているので、採れたてを食べたら病気が半減して、医療費が大幅削減される。

なにしろ、キュウリやナス、トマトの茎は樹木化して、最大30メートルにも達し、3年間も実がなり続けると言う。 キュウリなどは樹木化しても、ハウスの中で収まるように、角度を調節することがワザだという。
大変な《楽農》。
土作りが完成すれば、土壌菌は減ることがない。 つまり追加資材は不要。
それでいて、連作障害もない!
神谷氏は、愛知・西尾市の生まれで、吉良町の山間部の安い土地を 60年以上に亘って開墾しつづけて、100町歩近い農地を持っている。
10アール (1000㎡) のハウスでキュウリを栽培して1000万円の売上を上げた実績を持つ。
農業歴60年で、年商は70億円とか‥‥。
ともかく、スーパー好熱菌という得体の知れない農法を開発し、TPPなど怖くないと言うスーパー農法を確立した。

この著書では、19歳の学生が 神谷氏の指導を得て、10反 (約1000坪) の稲作を始めた様子が描かれている。
2013年の秋に田圃の土をトラクターで掘り起こし、1反あたり120~150袋のカーボン顆粒資材を数回混ぜ、田植時期にはタネを一昼夜浸水させたものを育苗氏して、休耕田を復活させた。
2015年には カーボン顆粒資材を前年より大幅に減らし、引続き稲作に挑む一方、作付面積を13反に増やしてナス、トマトの試験栽培も始めている。
このほか、神谷氏の弟子たちが日本各地で、いろんな実践を行っている様子が描かれていて、大変に参考になる。

著者は、単に農家だけでなく、屋上菜園などにもこの農法を採用して欲しいと懇願。
著者は、「里山資本主義の実践」 などと、やたらに小難しい単語を羅列して喜んでいる。
そんな、小理屈はさておいて、この著書をいくら読んでも、神谷氏の指導を含めて初期投資がどれだけ必要であるかが分からない。 カーボン顆粒資材の効力は分かるが、1袋どれだけの費用で、どこから購入出来るかが分からない。
つまり、経営として考えた場合のデーターが、何も示されていない。
神谷氏の教えを受けた弟子達が、経営的にどんな道を歩いているかという肝心のことにも、触れていない。
そして、もっと素人にも分かりやすく解説した著書であったなら‥‥と無いものねだりをしたくなってくる。
そういった意味では、この著書は欠陥商品だと言ってよい。 どうしても、この続きが読みたくなってくる。

posted by uno2016 at 06:14| Comment(5) | 産業・経営 | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

高齢者になった「団塊の世代」の人々の面白い本音が聞ける小説!



堺屋太一著「団塊の秋」(詳伝社 1700円+税)

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堺屋太一というと、通産省在職中に 「油断」 を書いて作家としてデビュー。 そして1976年刊の 「団塊の世代」 では、第一次ベビーブーム世代をこのように呼んで一世を風靡した。 たしかに最近は 「秀吉」 などの歴史小説や評論活動も注目されるが、氏を有名人にしたのは 「団塊の世代」 であり、この小説は その後の高齢化しつつある 「団塊族」 を、未来に向けて追跡したもの。

かつては 「ヤング」 とか 「ハイティーン」 と呼ばれた若者。 1947~48年生まれで、1971年に大学を卒業した若者。 就職先も決まって4月から勤めると、なかなか 海外へ行くチャンスがないだろう。 その3月に、「カナダ・アメリカ15日間の旅・学生割引」 が計画されたものと、ほとんどが捉えて申し込んだ。
ところが内実は、旅行会社が50人程度の団体航空券を割引で購入したが売れ残ってしまった。 慌ててその分を学生割引に当てたものらしい。 たしかに1ドルが360円時代だったので、35万6000円は割安に感じられたが、学生割引はたったの12席だけ。 飛行機の座席はいつも最後尾で、しかも通りの内側の席。 窓外の景色を楽しむことも出来ないし、食事は最後になるしで、散々な待遇。
バンクーバーのホテルへ到着するのが遅れたこともあって学生の不満が高まり、「明日は8時にこのホテルを出発し、カルガリーまで飛んで、次の日はロッキー山脈の中腹にあるバンフで スキーを楽しみます」 と言う添乗員に反発する声が出てきた。
「カナダに来てまでスキー場へ行ってもつまらない。 レンタカーを借りてみんなでカナダの大地を走り、大規模農業の実態に触れ、エドモントンには世界最大のモールが完成している。 それを徹底的に見たいと思うが、賛同者はいないか?」 と、東大卒で厚生省に就職が内定している加藤誠一が提案した。

たった2日間だが、自由行動をしょうと言う提案。 これには、体育系の 「是非 スキーをやりたい」 という3人を除いて9人が賛成した。 そして、添乗員との交渉や、レンターカー屋との交渉を自らやろうということになり、レンタカー2台を借りている。
一同は、高速道路沿いのレストランで分厚いステーキを食べ、小麦のサイロをカメラに収め、恐竜博物館を見学して、レッドディアの高層ホテルへ泊まって、大平原に沈む [カナディアン・サンセット」 を気が済むまで堪能した。
部屋代は、エキストラベッドを入れれば一人当たり6ドルで済んだ。
翌日は、エドモントン市の大商業施設の中を駆け巡り、1マイルも続く穀物列車に驚き、夕方の4時にはカルガリー空港の集合場所に無事到着している。 2日間の出費は1人当り22ドル。 空港で添乗員から1人10ドルの返済金を貰っている。

これは、とでこまでも私の体験だが、バスで視察するのとレンタカーで視察するのでは、有難さか丸きり違ってくる。 バスだと、最前列に座っていても、視線が高いせいかいま一つ臨場感がない。 まして後ろの席では、実感が伴わない。
これに対してレンタカーの場合は、風景も現場の雰囲気も実にナマナマしく伝わってくる。 このためアメリカやヨーロッパへ行った時は、出来るだけレンタカーを使うことにしている。 ということは、出来るだけ少人数での視察の方が、良い旅になるということ。
おそらく、バスではなくレンタカーで2日間動いたと言うことで、全員の印象が画期的に良くなったはず‥‥。
「その後も、何回となくカナダやアメリカを訪れているが、この時の旅行ほど強く印象に残っているものはない」 と、参加した全員が異口同音に言っていることからも、それが伺える。

そして、この時の印象があまりにも強烈だったので、参加した9人は、「毎年、年に1回は皆で会おう」 ということになった。 会の名前は加奈陀(カナダ)、米国(アメリカ) の漢字をとって「加米(カメ) の会」 と付けられた。
そして、幹事役として三友銀行に入社予定の福島正男と 毎朝新聞社に就職する予定の古田重明を選出した。 最初の2年間は間違いなく連続して開いたが、中心になる人物が アメリカやヨーロッパに駐在員に選らばられたりして、次第に3~5年おきにということが多くなってきた。 しかし、55年間に亘ってこの 「加米(カメ) の会」 が16回も開かれてきたというから、お見事というしかない。
この加米の会のメンバーは、当日参加した男性6人はその後も引き続き参加している。
団長役の厚生省の加籐精一と幹事役の三友銀行の福島正男、毎朝新聞の古田重明は紹介済みだが、この外に関西在住の京大を出て弁護士から衆議院、参議院の民主党議員になった石田光治と、関西私大卒で電気メーカー労組の委員長になった山中幸助。 そのほかに慶大卒で新潟で親父の建設会社を引継いだ上杉憲三。
女性は3人が最初の旅行に参加した。 いずれも大久保春江の4年生女子大の仲間。 大久保は高校教授になって加米の会に欠かさず出席しているが、高山益代は結婚して外地に赴任して一度も出席していない。 もう1人の雑誌社勤めの筒井順子は最初の会には出席したが、2回目からは欠席。 名字か変わらないところをみると独身らしいが、その後の音信はない。
したがって、加米の会は、実質 「7人の会」 とも言える。

そして、この小説は6章から成立っているが、6章のうちなんと未来の時期設定が5章にもおよんでいる。 そして7人の主人公はそれぞれ年をとって、定年退職したり、関連機関や企業へ肩を叩かれて移っている。
◎第1章  2015年春  主人公7人の平均年齢 67~68歳
◎第2章  2017年春                  69~70歳
◎第3章  2020年春                  72~73歳
◎第4章  2022年春                  74~75歳
◎第5章  2025年夏                  77~78歳
◎第6章  2028年夏                  80~81歳
このように、著者は6つの年代にわけて、各主人公達が当面している問題や意識を取上げ、探索している。 普通の小説とは違って、主人公の心のアヤを描くというより、どうしても客観情勢を説明することに力点が置かれるので、内容は異様なものにならざるを得ない。
この全ての章を紹介することは出来ない。
私が読んで、「あれ!」 と感動した点だけを紹介し、後は皆さんの読書力に一任したい。

ます、東京オリンピックが開催される2020年の毎朝新聞の記事。
[しぼむ! スポーツ熱  燃える! お祭り気分」
東京オリンピック・パラリンピックまであと100日。 会場の周辺の整備は進んでいるが、人口の高齢化が進み、スポーツ熱は盛り上がらない。 プロ野球は 昨年から8チームでの1リーグになった。 年間の観客数はピーク時の2004年に比べて半減して延べ1300万余人。 この背景には高校野球人口の減少がある。 地方予選の出場校はピーク時に比べて3割減。 少子化で子どもが減った上に、生徒が厳しい練習を嫌う風潮もある。
サッカーの状況はさらに厳しい。 ピーク時に40チームを数えたJリーグも、今年は24チーム。
競技年齢の高いゴルフ人口も激減して、ゴルフ場数は800を割り、ピーク時の4割減に。
オリンピック委員会も 「純血主義」 を放棄して、外国人に日本国籍取得を勧めて、日本代表として出場させる方針に転じた‥‥。

次は、最後の章に掲載されている経読新聞2028年7月30日の経済担当大臣の談話の一部抜粋と、新潟の上杉憲三の17回目の 「加米の会」 への参加のお誘い文の一部の紹介。
まず、「もはや、下り坂ではない!」 と言う担当大臣の談話の抜粋。
日本は1990年台は、①1人当り国民総生産  ②平均寿命の長さ  ③事故や事件の少なさで、世界一と言える 「三冠王国家」 になった。 しかし戦後45年間、日本の高度成長を支えてくれた3要素が一変。 ①世界的な資源が逼迫  ②規格品大量生産から多様化・情報化・主観化商品の転換  ③少子高齢化の進展 によって、日本の停滞と後退が始まった。
だが、今年になって日本にも、やっと明るい兆が見えてきた。
第1は出生率の回復。2005年の1.26から昨2027年は1.6を超えた。 第2は、貿易収支の改善。 昨年は3年連続で前年を下回り、赤字幅は3兆円を下回った。 そして第3は、何よりも起業する若者の増加。  これからの日本は、引退後の高齢者の最後の棲み家として選ばれる場所になって行くべきだと思う‥‥。

次は、上杉憲三氏の 「第17回 加米の会」 の上越への招待状と、「現状報告書」 の抜粋から。
上杉は招待状で次のように述べている。
「本年で、私も80歳の 《傘寿》 を迎えました‥‥。 このたびは趣向を替えて、上越市にご夫婦でお越しいただければと思いご招待状をさし上げます。 会合は8月後半から9月にかけて、皆さま方のご都合の良い日を選びたいと考えております。 上越市も東京・大阪と新幹線で繋がり、1時間40分ほどでご来駕頂けます。 新幹線・上越妙高駅までは、私どもの娘や婿が車でお出迎いさせて頂きますので、ご到着時刻を‥‥」

この、招待状に添付した 「現状報告書」 の抜粋。
「皆さんご案内のとおり、当社はバブルの崩壊によって、1995年に倒産を経験しています。 たしかにその時は建築技師の娘婿・山田司朗に養われている身でした。 朝昼夜とも2枚のパンと 庭で育てたわずかな野菜と卵での生活でした。 しかし、この時期を灼熱地獄の夏とすれば、2014年からの6年間は、秋口の海浜のように人影の見られない寂寥感に満ちた時期でした。
私が現職の「電気守」の仕事に気が付き、事業を始めたのは10年近く前の2020年の東京オリンピックの前年です。 電力の発送電分離が実現し、太陽光発電買取制度が廃止になり、これによって太陽光発電が無制限に造れるようになりました。
私は、上越平野に拡がる休耕田や廃業ゴルフ場跡地を太陽光発電事業を行ったら‥‥と夢想しました。 その時ヒントになったのは加米の会の仲間・大阪の山中幸助さんのビジネスヒント。 明治や大正時代の植林事業の事始め。
山間部の人々が、スギやヒノキを植えて、大都市の資産家に売却し、自らは 「山守」 として管理人となって収益の一部を得たという話。 「これだ!」 と私は感じました。
娘婿の調査研究によると、「雪国の太陽パネルにはシリコン系よりCIS (銅、インジウム、セレンの合金) が良いという。 そして、積雪対策として底辺の高さを1メートルにして、45度の傾斜を付ければ良いと教えてくれました。
そしてなんとか10人の出資が決まり、2020年にの9月には2000台のパネルが完成。 ほぼ予想通りの発電能力を発揮して、買い上げてもらって 「電気守」 に。
これで弾みがついて2021年には1ヶ所、2022年には2ヶ所で2000キロワットを資産家に売却。
以来年々増加して2028年には完成予定が4ヶ所にもなります。
目下の私は婿に仕事を譲って 「電気守」 の相談役として、手伝う身分にすぎませんが‥‥。


この著の面白さは、単なる 「団塊の世代」 の考えだけではなく、こうした企業のノウハウが随所に散りばめられているところにある、と言える。


posted by uno2016 at 15:05| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
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