2016年03月15日

3尺幅の廊下や便所を如何にして使いやすく改良するかの知恵。



バリアフリーデザイン研他著「バリアフリー住宅読本」(三和書籍 2500円+税)

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昔、建築主だった若い人も、20年以上も過ぎてくると建替えたり、手すりなどのバリアフリー工事が必要になってくる頃だと思う。
スカスカの住宅が横溢していた当時から、先のことを考えてQ値が1.4W以上で、C値が0.9c㎡/㎡のR-2000住宅を選んだ各氏。 住宅のモジュールに対しても、先見性を持った人が多かった。
自分が70~90歳台になった時のことを考えて、中には緩いスプロールのあるアプローチを併行して希望する人もあった。
なかでも 一番問題になったのは、3尺モジュール。 3尺幅の廊下、階段、洗面やトイレや浴室などの水回り。
欧米のプランを見ると、すべてが4尺幅。
このため、代案としてメーターモジュールを用いる方も少なくなかった。 つまり、廊下や階段室を 芯々910ミリではなく、芯々1000ミリにして、幅木分を差引いても765ミリではなく 855ミリを確保しないと、万が一 車椅子の生活になった場合には、困ると考えた方々。

いや、855ミリでも不足だ。 欧米のように芯々1200ミリでなければならない、と強調する施主の方も多くおられた。 そして、欧米のように浴室や洗面、トイレは1つだけでなく、主寝室には浴室と洗面・トイレをまとめて併置して、3LDK+2浴室・洗面・トイレの必要性を力説される若いご夫妻も珍しくはなかった。
たしかに、「理想としては40坪以上で、3LDK+2浴室・洗面・トイレでありたい」。 だが、当時から日本の住宅地の価格は異常な高価。 せいぜい用意出来る建築延坪数は30坪前後。
ということになると、残念ながら主流は日本古来の3尺モジュールを採用するしかなかった。
この3尺モジュールに合わせ、日本で生産される合板などの建材は、ほとんどが3×6尺物で占められていた。
その後、この3×6物の不合理さと生産性の低さに気付いた一部のメーカーは、3×8尺並びに3×9尺ものの合板や石膏ボードなどが造るようにはなってきた。 
だが、日本の基本モジュールはどこまでも3×6尺であり、欧米のように4×8尺になったことは一度もない。

つまり、戦後一貫して建築関係者が挑んできたのは、4×8尺モジュールに対するチャレンジであり、常に3×6尺モジュールが勝利者であり続けた。 現に、いまでも4×8尺物の建材を輸入して採用している業者もあるが、間取り面では3×6モジュールに妥協。
私が、かつて挑んだのは廊下の壊滅だった。
つまり、廊下から浴室・洗面・トイレ空間へ行くのではなく、居間空間からユティリティ空間へ 抵抗なく行けるように工夫した。 そのためには、24時間機械換気が不可欠で、全館空調換気システムが絶対的条件。
また2階へ上がる階段は1階の廊下からというのを止めて、必ず主婦に挨拶をした上で1階の居間空間とかダイニング空間から上がるようにした。 このように、1階の空間を効率的に利用することで、階段の幅は3尺に拘らなくてもいいようにした。 つまりメーターモジュールも4尺モジュールの採用も可能にした。
こうして1階の廊下と階段室は3尺モジュールから解放されたが、2階の廊下までは解放することが出来なかった。 その一例が、皆さんも何度か目にされている40坪の3LDK+2洗面・トイレ+1浴室のモデルプランである。

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皆さんもお気づきのように、このプランは子供を育てるために考案された住宅。
子供が成長して家を出て行き、それぞれにマンションなどを入手した場合は、年寄り夫婦だけが住む高齢者住宅になってきた時は、大変に不便な住宅。 
まず、2階の2つの子供部屋が不要になってくる。 その子供室は物置に使うとして、次第に2階の寝室へ登り降りすることが面倒になってくる。 幸い、階段室は芯々1.2メートルなので、階段昇降機を設置することが出来る。 しかし、回り階段であることと、2階での乗降する場所が完全に確保されていない点については、再考する必要があろう。
そして、もし後期高齢者になって、車椅子での生活を余技なくされることにでもなれば、1階に寝室と浴室かないことが、想像以上に不便になってくる。
つまり、このプランは子育ての時は理想的なプランであるが、アメリカのように家族事情が変わると適正価格ですぐに売れ、小さい家へ移れるという不動産の流通システムが日本では整備されていない。
土地だけが評価され、建屋は無価値になってしまう。 このため、日本では 「空き家」 が一方的に増加するというおかしげな現象が生じている。

そこで、日本では古くなった家をバリアフリーで改造して、高齢者や後期高齢者が住みやすいものに改造することが大流行。 
この著もその趣旨で書かれている。
ご案内のように、介護保険制度が制定されたのは2000年 (平成12年) で、見直されたのが2006年 (平成18年)、そして現在にいたっている。 そして、手すりをつけるなどの住宅改修費としての支給限度額はたったの20万円。

この本を読めば読むほど、高齢者、とくに後期高齢者の場合は、自宅で生きて行くと言うのは大変なことだと分かる。 単に手すりを付ければことが足りるという簡単なものではない。
この著書の優れている点は、どのような工事が必要であるかは 入居者の、◇身体状態 ◇日常生活動作 ◇住宅の改修場所 ◇回収ヶ所の大小により異なってくる。
そして、・手すり工事で20ヶ所 ・浴室で33ヶ所 ・トイレで24ヶ所 ・居室で18ヶ所 ・階段で9ヶ所 ・玄関で13ヶ所 ・外構で18ヶ所 ・計135例を挙げ、おおよその予算を書いている点にある。
それによると、トイレや浴室の手すりが多い場合は、それだけで100万円を越す場合があり、階段の昇降機設置の場合は、直通階段でも74万円、モデルハウスのようなグルリとまわる 回階段の場合は200万円近くかかると考えねばならない。

解説者は、後期高齢者になり、障害を持ったにしても住み慣れた家で、出来る限り長く自律して生活出来ることことこそ理想と書いているが、そのために改装費が1000万円以上かかると言うのでは、本末転倒のような気がしてならない。
たしかに、私もそうだったが、入居者が当面する今の不満や意見を聞いてプランをしてきた。
しかし、これからのプラン作りは、まず施主の家族が20~40年先にどのようになっているかを想像出来なくてはならない。 そして、主人や奥さんがどんな終生計画を持っているのかを知らねばならない。 その上で、これから5~10年間の家族計画を知らねばならない。
その作業なくしてのプラン作りは、架空のものになる懸念が非常に高い。

アメリカのように、現在の生活に焦点を当てたプラン作りは、「その生活が終われば絶対に家が売れる」 ということを前提にしたもの。 日本のように、「住宅は一生物で、やたらに売残り物件が増えてゆく国」 を前提にしていたのでは、「バリアフリーのやりやすい家づくり」 が、大前提になってこざるを得ない。
「そのためのプラン作りはどうであるべきか?」
今まで、考えたこともない課題を、この本から得られたような気がして、正直言って意気が消沈している昨今。




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2016年03月10日

少子化で、百貨店・スーパーや電車、住宅建築が減少して行く!



竹本遼太著「コンビニ難民」(中公新書 820円+税)

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昨日 (9日) の日経新聞では、セブン&ホールデングが不採算のそごう柏と西武旭川の百貨店を9月末で閉鎖し、イトーヨーカ堂のスーパー店も今年の2月中には20店も閉鎖すると伝えている。

このところ新設住宅の着工が不振で100万戸を割っているが、建設経済研と経済調査会は本年度は96万戸を超えると予想。 一方、住宅金融支援機構は 10万戸少ない86万戸強と予想。 矢野経済は翌2016年度は83万戸になると予想。 野村総研にいたっては、2030年には 53万戸にまで落ちるとの長期予測。  それにしても、昨日の日経の経済欄では大東建託は3月期の決算で利益が100億円ほど上回り初めて1000億円を越すとか、東建コーポの純益が2倍になる予定だとか、まるで住宅不振がないかのような景気の良い話ばかり‥‥。

堺屋太一氏が 「団塊の秋」 に書いたように、2020年の東京オリンピックの年に セ・パに分かれていたプロ野球が、観客動員数の減少から 1リーグ8チームになったたけではなく、サッカーにいたっては、ひところ40チームを誇ったJリーグが24チームに減った、と書いている。
つまり、今までの拡張路線一本槍だったバブル景気時代の夢を捨て、プロ野球から 脱落するチームが出るのは当然のことだと考えねばならなくなっている。
少子化というのは列車が間引かれて10両編成が8両編成になるとか、5分間隔が8分間隔なるとか、あるいは市町村が消えるとかという時代が到来することを意味している。

ところが、そういった減少ブームが続く中にあって、唯一 日本発のコンビニストアだけはこれからも成長を続けると力説しているのが本著。
故渥美俊一氏の 「売上げ100倍を目標にしているのがスーパーストア理論だ」 を聞いたとき、アメリカ発でスーパー業界を指導している理論の精緻さとダイナミックスさに圧倒された。
それまでは NAHB (全米ホームビルダー協会) を中心とする地道な 「生産性向上運動」 以外に、日本の国民を 「低性能・高価格住宅から解放する方法がない」 と信じていただけにショックは大きかった。
たしかに アメリカ郊外のショッピング・センターで、凄まじい勢いで急展開しているスーパーは脅威的な存在。

一方、アメリカの郊外では 「共有地の多いコミュニティづくり運動」 が始まったばかりで、スーパー理論を直接住宅業界へ持込もうと考えているホームビルダーは、ほぼ不在。
「住宅には住宅のやり方がある」 と達観して、地道な生産性向上運動に取組んでいた。
つまり、アメリカの住宅産業界には、売上を100倍に増やすことを考えるスーパーのようなモデル企業は存在していなかった。 あったのは全米ホームビルダー協会参加の4.4万人のホームビルダー達で、年間5~25棟をこなす地場ビルダーが57%を占め、年間51~500棟以上をこなしているホームビルダーは43%。  平均年間建築戸数は、地方の事情を反映して25棟。 
だが、ロスやサンフランシスコの大都市周辺では、1期に30~40棟の分譲団地づくりが増加していたのは事実。
つまり、分譲方式の住宅供給が主力で60%を占めていて、残りの40%は 土地を持ったているが、プランはビルダーないしはプレハブ業者のプランから選ぶ人が20%。 日本で主流を占めている高価な特別注文住宅は、やっと20%を占めていただけ。
もちろんこれは50年前の資料で、最近はプレハブ化がより進み、同時に特別注文住宅が激減してきているはず。

この著書で強調しているのは、アメリカ産の百貨店やスーパーが 完全に下り坂にかったのに対して、日本産のコンビニは5.5万軒を突破して、月に14億人の人を集めるまでになってきているという事実。
たしかに、アメリカの郊外には1万5000㎡以上 (約4500坪) のショッピングセンターがあって、メイン・テナントとしてスーパーが入っている。 道路網と自動車を中心としたアメリカ的な社会を示す風景。
これに対して、日本人が考え出したコンビニは1300㎡ (約400坪) と小さい。 
ところが数がやたらに増えて現在では約5万5000軒にも。 そして、月に約14億人の人間が押寄せている。
そして、かつて1980年台のコンビニは若者の店であった。 6~7割が20歳台で 占めていた。 この時は深夜の若者の騒動やバイクで、近所迷惑な存在。

ところが、2013年に20歳台よりも50歳台が多くなり、現在では40歳台を含めると客層の60%が中高年層が占めるようになってきている。
この背景には、単に食料品や飲料などの物品を買うだけでなく、 いち早く銀行のATMを設置して預金、引出、振込が出来るようになり、宅配便や郵便の受付、公共料金や税金の納入、さらには住民票や印鑑証明の発行と言う行政サービス、コピー印刷、航空券、医薬品、認知症サポート、公衆無線LAN、外国語パンフレットの設置なとの各種のサービスを始めたことが大きい。
郵便局の支店は2.4万と変わらず、ガソリンスタンドは約4万軒へと1/4減。 
その中にあって、かつての迷惑施設から、無くてはならない 「インフラ・ライフライン施設」 に変容したのがコンビニ。

今やコンビニは単なる小売業にはとどまらない。 金融や行政などのサービスを提供する社会インフラになりつつある。
そして、今後ますます高齢化が進めば、高齢者の買物難民化が進み、コンビニがその買物難民に大きく貢献するのではないかと言うのが、本著の最大の特徴。
とくに75歳以上の後期高齢者になると、運転免許をもっているのは3割しかない。 今までは車で買物にゆけた人も、買物難民となる。
そして、後期高齢者の歩行距離は分速60メートルで5分と仮定した。 つまり、半径300メートル以内にコンビニがないと、買物難民になるという勘定。 坂道があったりして、往復600メートルが限界だろう考えたわけ。
それでどれくらいの高齢者が 「コンビニ難民」 になるかを調べたら、高齢者の6割がコンビニ難民になるという結論に‥‥。 
単身高齢者と高齢者夫婦2人だけを数えても800万人以上となり、これから20~30年後を考えると、2000万人近くにもなる。
とくに過疎化が進んでいる山村部と、ニュータウンを抱えた郊外都市の2つの地域が問題になってくる。

筆者は全国の市町村を調べて、コンビニの有無を調べると共に、問題になる地域をピックアップしている。
そして、コンビニ難民を減らすために、筆者は3つの提案を行っている。
しかし、人口密度から考えると、コンビニの数は6万店が限界ではないか、という意見も一部から聞かれる。 もちろん、後継者不足からシャッター街になるのをコンビニが防いでおり、その社会的な存在意義はますます高まるという意見もあるのだが‥‥。
そして、コンビニ業界だけを眺めた3つの提案では心細い。 後期高齢者のことを考えると、質の高い住宅と環境が大切。 さらに、大災害時には、逃げやすい街づくりということも平行して考えねばならない。
それには、コンビニ業界といった狭い範囲で考えるのではなく、地方自治体を巻き込んだ広い場を設けて検討することが必要だと痛感させられた。

いずれにしてもこの著は、分かりやすく、しかも大きな問題を投げかけている。


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2016年03月05日

平均年齢36.4歳の若い5人の杜氏+蔵元が、酒蔵を継ぐ話!



山内聖子著「蔵を継ぐ」(双葉社 1400円+税)

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私は地震に対して異様なまでの感覚を持っている。 それは2004年の直下型の中越地震を経験しているから。 その前の阪神・淡路の直下型地震も被害は酷かった。 たしかに鉄筋が入っていない基礎があったり、通し柱は3.0~3.5寸が通常。 このため、ほとんどの通し柱が折れ、在来木軸は1階が軒並み押潰されていた。 被害者には申し訳ないが、私は材木屋と工務店の無知がもたらした人災に見えた。
これに対して、豪雪地の中越は1階がほとんどRC造で、被害がほとんどなく、通し柱は4~5寸。
それなのに、震度7強の烈震地の武道窪では17戸のうち倒壊していないのはスーパーシェルの1戸だけ。 倒壊率は94%。 また田麦山では、100戸のうち倒壊していないのは10戸だけで倒壊率は90%に達していた。
このため、直下型の地震の怖さを、嫌というほど知らされた。 しかも首都圏では30年以内に70%の確率で直下型が襲ってくるという。 そして、前から 「南海トラフ地震」 のことが叫ばれている。 この時、岩波新書が山岡耕春著の「南海トラフ地震」を発刊した。 この内容を熟読し、各県の被害状況も調べたものを、ブログとして記載したいと考えていた。
ところが、わが女房殿がそのブログを見て、「いまさら南海トラフ地震のことを書いても、誰が読むのてすか」 とのたもうた。
そこで、今朝から急いで書き始めたのがこのブログ。 ところが、掲載する時に間違えて、全部消してしまった。 あわてて書き直しているところだが、そんな訳で夕方になることをお許しいただきたい。

この著は、今どき酒蔵を継ごうと言う、30代の若い女性1人を含めて、5人を取材しているもので、大変な感銘を受けたもの。
本来は、この本を紹介するのではなく、私が地場でホームビルダーを引き継ごうとしている若い人々の姿を取材すべき。 
しかし、第一線を退いた私には、若い人々を紹介するチャンスがない。 残念ながら私には、若きビルダーが活躍している現場を捉えることが、難しくなってきている。
紹介する記事があったら、最優先で紹介したいと考えているのだが、この本のように、喜んで跡を継ごうという若者に巡り会うような建築関係の本に出逢えない。 この著作は、ビルダー業界にも共通する問題点が含まれている。 
したがって5人全部を紹介したいところだが、それでは表皮的になるので、福島・会津若松市の宮泉銘醸の宮森義弘氏だけにしぼって紹介したい。

宮森氏は、小学生の時から、「将来は酒蔵をやりたい」 と思っていたと言う。
たしかに、今は世界的に日本酒がブームになってきているが、宮森氏が小さい時は、日本酒の需要が廃れ、斜陽産業だと言われていた。
「子供だから、酒が飲めるわけではない。 小さい時から酒蔵で遊んでいたし、酒蔵を経営してみたかった」 という一心だけ。 そして、小学生の時に、将来宮森氏の右腕となってくれる同級生の山口武久氏を口説き落としている。
「私は将来、酒蔵を経営したいと考えている。 その時には、山口氏も協力して欲しいと考えているのだが‥‥」 と話し、山口氏の約束を得ているから凄い。 山口氏は、現在は製造部長。
「これは」という直感力を持っていたと言うしかない。 これに対して、「ただ単純に、この人と一緒にいたかっただけ。 理由はないけど、その方が2人とってもいいことがあるような気がしただけ‥‥」 という。 そして、中学・高校と同じ学校だったが、宮森氏は東京の大学へ行き、山口氏は仙台の専門学校へ行っている。

大学を卒業し、福島へ帰ろうと相談したら、父親から、「少し待ってくれ」 と言われた。
酒の売れ行きが思わしくなく、会社が赤字のためらしい。
しかし、地元の金融機関は、売れ残った酒も資産として評価してカネを貸してくれる。 つまり、タンク10本が残っていても、負債として勘定するのではなく、売れれば1億円になると評価してくれる。 このため、酒蔵経営の改善が大幅に遅れていた。
帰ってはいけないというので大手企業に就職していたが、母親までが 「跡は継がなくてよい」 と言いだした。 小さい酒蔵で苦労するより、大企業で楽に暮らした方がよいという親心が言わせたもの。
しかし、宮森氏の やいのやいという催促に、「跡は任せる」 といって父が帰宅を承認したのは4年後で、宮森氏が27歳の時。
「跡を任せる」 とはカッコ良いが、実際は父親ではどうにもならぬところまで追込まれたから、責任を一方的押付けたまでのこと。
任された宮森氏は、まず不必要な経費の削減から始めた。 例えば駅前の月々10万円を払っている看板の撤去など。 一歩も引かずに努力した甲斐があって、翌年は6年ぶりに黒字に転換。
この結果を見て、全社員が新社長に協力的になってきた。 
逆境の中で成果を出し、「達成感が得られるのは苦痛ではなく、楽しいことだ」 という若社長の評価は次第に高まっていった。

同社の、主力商品である 「寫楽」 は、新社長が就任した後で、宮森家の本家筋の東山酒造が廃業した時に、譲渡されたもの。 ただし、「寫楽という銘柄名は受け継ぐが、味は替える」 と新社長は公言していた。
宮森氏は、学生時代の冬休みには、いつも酒造りを手伝っていた。 そして、終われば杜氏さんや蔵人とわが社の酒は飲んでいた。 酒が旨いと感じたことは一度もなかった。
「俺はジントニック派で、日本酒はおじさんたちの飲物」 と割切っていた。
ところが、福島へ帰ると決まった時、送別会を開いてくれ、初めて福島産の「飛露喜(ひろき)」
を味わった。 
それは、それまでの日本酒に対するイメージを180度変換させるものだった。
「いままで飲んでいた日本酒は、一体何だったのか?」 と価値観がガラリと一変させるほどの内容を持っていた。
「こんなにうまい酒があったとは? 一体どんな人が造っているのか? どうしても造り手にあって見たい」 と熱望するまでになっていた。 
子供の時の酒蔵の経営に対する関心から、味作りに関心が移行した瞬間でもあった。

宮森氏が「飛露喜」の廣木健司氏に会ったのは、「福島・清酒アカデミー職能開発校」の入学式の懇親会。 駆け寄って、「話をさせて下さい」 と挨拶したら、「君と話すことはない。 これから先も、ずっと無いはず‥‥」 だと言われてしまった。
つまり、今までの宮泉銘醸だと、ほとんど普通酒や本醸造しか造らず、純米はタンク13本あっても1本あれば良い程度。 そんな蔵の息子と話しても意味がない。 会うだけ時間のムダたと言われたということ。 それほど廣木さんは蔵の経営と日本酒造りに命をかけて挑んでいた。 
しかし、そんなことを言われても怯む男ではない。「この人ともっと話が出来る人になりたい」 と対抗心がムラムラ。
そして、「飛露喜」の蔵への通いはじめたが、中を見せて貰えたのは3年すぎのこと。
そして、独学で「寫楽」の開発に勤しんだ。
「俺の日本酒の基本は完全に《飛露喜》。 だが、廣木氏に聞いたことも、相談したしたことも一度もない。 途中から自分で旨い酒とは何だろう? と自問しながら酒造りをしてきた」 と語っている。 つまり、廣木氏は、どこまでも研鑚の相手であり、良い意味でのライバル。

「寫楽」 が完成したのは2007年 (平成19年)。 当初は、県外への販売は全く考えていなかったという。 「タンク1本からスタートしたこともあり、営業活動は全く行っていなかったから」。「寫楽」が3造り目を迎えた頃、「仙台日本酒サミット」へ初出品した。 そしたら、初登場にも関わらず3位に入賞。 業界内で話題になり、全国の酒販店から注目されることになった。
そして、翌年は1位を獲得すると知名度はグングン上がり、マスコミからも注目を集め、「若手の新星」と謳われて人気は日に日に高まっていった。 いわゆる営業の努力なしに全国に販路ができて、生産が追い付かないほどの人気商品に。
宮森氏が、思いを込めて造った酒は、それに比例してファンがどんどん増えている。

2011年の忘れられない東北大震災に宮泉銘醸も被害を受けているが、2014年の世界の最多が参加する日本酒だけのコンテスト「SAKE Competition 2014」 で、純米酒、純米吟醸の部で1位になるという金字塔を打ち立てた。
この表彰式の式場で、廣木氏が「福島の酒は凄いでしょう。 若手が頑張ってくれました」 と言いながら「寫楽」を注ぐ姿かあったという。

福島の蔵継は理想的に回転蒸しているらしい。

posted by uno2016 at 19:42| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
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