2016年04月10日

一番難しいイチゴの無農薬・無肥料に挑んだ野中夫妻の無謀



田中裕司著「希望のイチゴ‥‥最難関の無農薬・無肥料に挑む」(扶桑社 1000円+税)

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今年の2月25日付の この欄で、上部一馬氏の著作 「スーパー微生物農法」 を紹介した。 「除草剤や化学肥料が不要の神谷農法をご存知ですか?」 と。
そしたら、自ら農業をやっているT氏からメールが入った。
「信じられない内容なので、神谷成章氏で調べたが 一つもヒットしない。 特許関係でも応答なし。 unoさんが紹介するのだから間違いはないと思うが、unoさん自身の信用にも関わるのではないかと心配‥‥」 と書いてあった。
昔から新しいもの好きだった。 だから記者という仕事は体質が遭っていた。 だが、「私の書いた記事で、絶対迷惑をかけてはいけない」 ということは肝に命じていた。 したがって 上部氏の記述内容に疑問を感じ、事前に神谷成章氏を、出来る範囲内で調査していたのは事実。
開いたネットで 「神谷成章」 でヒットしたのは90件弱。 その中で否定的な意見は皆無。
中でも、大下伸悦氏が 「冬の農地が凍らない」 という著書を 日本文芸協会から出版し、さがみのクラブなどでは神谷氏を動員して講演会などを行っている。 この文芸協会が若干怪しいと感じたが、この著作は読んでおらず、「マガイモノ」 と断定するわけにはゆかず、奥歯に物が挟まったような表現になった経緯をT氏に伝えた。
その後においても微生物農法については、確信は得られていない。

そんな経緯があったので、「イチゴで世界で初めて無農薬・無肥料栽培に挑戦した記録だ」 と言われても、簡単には飛びつけなかった。 しかし、何回も読返しているうちに 「これは本物だ」 と確信した。
この物語の中心人物は、野中慎吾・浩美夫妻。 スーパーに有機野菜を売込んでいるオイスカ (国際NGO) が経営する農業専門学校の同期生。 地元の茨城で 浩美さんが有機用の農地を借りたいと町の農政課に相談に行ったが、「すぐに有機栽培をやってみたいと言う人に貸してくれる土地などはありません」 と、門前払いにされた。
その時、慎吾は豊田市の老舗の食料スーパー・やまのぶの山中会長に会って「今日限りでオイスカを辞めます。いろいろお世話になりました」 と 挨拶に参上したのが2006年の年末。
山中会長は、25年前から 「有機野菜」 を扱っていた。 近くにオープンした 健康食品店を視察したら、高かった。 しかし、当時は情報不足。 どこから手を付けて良いかが分からなかった。 そこで、田舎の 「野菜の無人販売所」 を視察。
「無人販売所」 へ置いてある野菜には、2種類があることが分かった。 1つは、市場へ出荷した後の残り物。 もう1つは、年輩者が裏庭で残飯などの有機肥料で作っている自家用野菜の余りもの。 そして、年輩者に聞いてみると、「自分のところで 食べる野菜だから、農薬や化学肥料は一切使っていない」 と断言。 試めしに、そうした野菜を買ってきて食べて見ると、旨い。「これだ」 と思い、その足で自家用の農家を訪ねて 直接仕入れて、「ごんべぇの里の野菜」 を夏場2~3ヶ月の限定商品として売出したところ大好評。
そして、野菜だけでなく、コメも無農薬・無化学肥料の有機栽培にしたいと、3年前から 全私財を投じて 「農業生産法人・みどりの里」 を立ち上げたいと 計画していた。 しかし、自分は歳なので、若手を探していたところ。 飛込んできた野中慎吾青年はまさにうってつけ。
「私と一緒に農業生産法人を作ろう。 そして、自然栽培のコメを作ろう。 みどりの里の初代責任者は君に任せる。 ただし、1つだけ条件かある。 それは、1年間秋田へ行って、コメの自然栽培のコツを学んでくること!」

山中氏が紹介したのは、秋田県大潟村で約20町歩 (約6万坪) の田んぼで 自然栽培の良質のササニシキを作り続けるコメ作りの達人・石山範夫さん。
地平線まで広がる田んぼを見て、まずそのスケールの大きさに驚いた。そして、石山氏は全ての田んぼを有機栽培から 自然栽培へ切替えたばかり。 それだけでなく、慣行栽培のコメ農家と変わらぬ収穫量をあげ、安定した収入を得ていた。
石山氏は「無農薬栽培で収穫できれば、それでよし」 とは していなかった。 「質」 の面でも非常にこだわり、作るだけではなく販売、営業面の細部までミスが生じないように配慮している。 さらに時間のムダを省き、無借金で事業を成し遂げていた。
こうした総合力があったから、自然栽培でも有利な展開が可能になっていた。 慎吾氏は 「無農薬栽培だと、小規模であってもやむを得ない」 とそれまでは考えていたが、これがとんでもない甘い考えだったと悟らさせられた。
この石川氏は、未婚の浩美さんを一緒に研修を受入れるのを嫌った。 このため、07年の1月に結婚式をあげて入籍し、2月には山中氏に見送られて、大潟村の研修には2人で加わった。
石山氏の研修は厳しいものだった。 2人は石山氏の表裏のないひたむきな人間性に惚れ、朴訥な優しさに惹かれて厳しさに耐え、無事1年間でコメの自然栽培を身につけた。

ここで、「有機栽培」 と 「自然栽培」 の違いを説明しておこう。
「有機栽培」 というのは、化学肥料を使わず、草や根っこなどの植物繊維、残飯や 牛・豚・鶏などの糞尿を時間をかけて発酵させてつくる有機肥料を、主な肥料とする 農法。 どちらかというと、「土」 作りに主眼を置く農法。  原則として農薬も使わないが、最低限の農薬の使用は一部認めている。
これに対して 「自然栽培」 というのは 「化学肥料と有機肥料、それと農薬の両方とも使わない農法」 と考えてよい。
「慣行栽培」というのは、従来通り化学肥料と農薬の使用を認めている旧来型の農法。
この違いが分かっていないと、途中で混乱を起すことになる。

こうして、08年から野中夫妻の豊田市における自然栽培でのコメ作りが始まった。
田植が終わり、一段落した時の蕎麦屋に向かう車の中で、山中会長が唐突に次のような提案を2人に行った。
「あんたたち、田んぼをやっていたら冬はヒマでしょう。 どうだろう 無農薬でイチゴの生産に取組んでみたら‥‥」 と。
無農薬のコメ作りの研修を受けたので、今後は無農薬での野菜づくりをやってゆく自信はあった。 しかし、専門学校時代にイチゴの有機栽培に取組んだ時、病害虫にやられた 苦い経験が慎吾にあったので、思わず会長に聞いた。
「本当に、イチゴの無農薬栽培なんて、出来ると考えているのですか!?」
「大丈夫。 私ね、無農薬でイチゴをつくれる肥料屋さんを知っているから‥‥」
どうやら、会長は有機栽培で、化学肥料を使う栽培方法と、自然栽培とを、同じジャンルだと勘違いしているよう‥‥。
それを嗜めようと考えたが、しかしイチゴの無農薬栽培と言う絶好のチャンスを会長はくれようとしている。 心の中では、「イチゴの無農薬栽培など絶対にムリだ」 と分かっている。
「イチゴの無農薬栽培というのは、大変に難しい。 本当にやるんですか?」 と重ねて聞いた。
「やるの!!」
会長の意思は固かった。

会長が指定する肥料会社の担当者とスーパーであって 話を聞いてみた。 そしたら、「イチゴに関しては、そんなに知らない」 と言う。 会長の話とは 全然違う。
しかし、野中夫妻はイチゴに関しては完全な素人。 ともかく、業者の指導を受けながら、迷いながらのイチゴ漬けの生活が始まった。 野中夫妻にとっては、生まれたばかりの赤ん坊を背負って仕事に没頭。 そして半年後の12月クリスマス前の初収穫日を迎えた。
当時のビニールハウスは全部で4棟。 このハウスで咲いた1番花から1500パックを収穫。 市場のイチゴに比べても、見劣りしない甘酸っぱい味。
「無農薬栽培なんて、楽勝。 病気にやられずに出来るんだ!!」
そう思っていたのは年末まで。
年があけて、アブラムシをはじめとする病害虫の猛攻で、事態は急変。 たまりかねた慎吾は、業者に訴えた。
「肥料のやり過ぎで、アブラムシが大量発生しているのではないですか?」
「そんなことない。肥料が足りないからだよ」
「味も悪くなっています」
「肥料が足りないからだ」
「イチゴの色も薄いみたい‥‥」
「それも、肥料が足りないからだ」
何を聞いても 「肥料が足りないからだ」 といって有機肥料を奨める。
「絶対効くのですね?」 と言いながら、チッソ分の多い肥料を施し続けたが、事態は一向に改善されず、2番花からは絶望のどん底へ突き落とされた。
ありとあらゆる病虫害が襲いかかり、回復の見込みはなくなった。
これに対して、肥料業者は 「播いたからすぐ効くモノではない。そんなに虫が嫌いなら 農薬を使え!!」 とほざく。
「農薬を使わずに出来ると言ったのは誰だ!!  もういい。 自分で解決策をみつけるから、2度と口を出さないでくれ!!」
おとなしい慎吾も、堪忍袋の緒が切れた。

コメづくりに関しては、1年間の研修を受けた。
しかし、イチゴづくりは1年と5ヶ月かかると言われている。 その作業工程の全体像が野中夫妻には掴めていない。 そこで、2年目は浩美の紹介で、隣町のコンドウ農園に教えを乞い、イチゴの減農薬栽培で再スタートをすることにした。
コンドウ農園は、暖房も換気扇もないハウス。 しかし、野中夫妻はハウスの内側にビニールのカーテンを張り、夜は内張りビニールを降ろし保温効果をあげたりした。 そして、減農薬を散布したが、1年目の肥料過多地獄から脱することが出来なかった。 また、有機栽培での土づくりの限界も感じた。
2年目はほとんど収益がなかった。
3年目の2010年には、ハウスは9棟に増えていた。 夏にハウスの中を雑草で茂らせて余分な栄養を取り、それを刈り取って思い切って無肥料栽培に取組んでみた。 また食酢と「粘着くん」で、病害虫に立ち向かう方法も確立した。
この年のイチゴはおいしく、山中会長夫妻も喜んでくれた。
07年に秋田へ行った時、「奇蹟のリンゴ」でお馴染みの木村秋則氏のサジェスチョンも受けていたので、青森へ送ったら好評を得た。
無農薬のおかげで 栽培が楽になったし、ハウスからはナメクジやモグラが姿を消した。

そして、4年目の2011年からは、「栄養生長」 とは相反する 「生殖生長」 が、イチゴの味を決めるということが分かってきた。 このためには、イチゴを弱らせねばならない。 しかし弱らせ過ぎると病虫害にやられてしまう。 自然のリズムに敏感に反応し、農作物の状況を 正しく読み取る 「勘」 こそが、イチゴづくりのポイントだと知らされた。

そして、昨年からイチゴの無農薬による苗づくりという最も難しい課題に取組んでいる。 夏の夜温が24℃以下でないと炭そ病に罹ってしまう。これを避けるために2015年には子苗を7月中旬には長野県平谷村へ山上げして、9月上旬に豊田市の畑に戻している。
このため、2015年の暮から16年の5月末までに沢山の美味しいイチゴが採れるはず。

この報告書は途中経過に過ぎないが、イチゴ作りの難しさと醍醐味を語ってくれている。




posted by uno2016 at 15:52| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
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