2016年07月15日

施主・専門家13氏による会員制クラブの新しい賃貸住宅の試み



「荻窪家族プロジェクト物語」 荻窪家族プロジェクト編著 (萬書房 1800円+税)

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ともかく、取上げるのが遅すぎる!
何しろ、昨年中に朝日新聞、日経新聞、読売新聞、日経アーキテクチュアに 記事が掲載されたという。 それだけではない。河北新報や上毛新聞、建築ジャーナル、新建築にも 昨年中に紹介記事が連載済みだという。
ところが うかつなことに、私は「荻窪家族プロジェクト」については、この著書が出版されるまでは、全く知らなかった。
何しろ、荻窪駅から歩いて7分。
杉並・荻窪4-24-18の約200坪の土地に、鉄筋コンクリート 3階建ての延べ床765.1㎡ (約231坪) の 「地域開放型賃貸シェアハウス的 多世帯集合住宅」 が建てられていたのだ。
こんな ビックニュースにぶつかりながら、何一つ現地を取材もせずに、本を頼りに 記事を書くとは‥‥我ながら落ちぶれたものだと思う。
年内には、その後の動きを探った特集記事を載せたいと希求。

この著は13人の著作から成っている。
自宅とアパートが建っている200坪の土地は、戦後 北朝鮮の羅南から命からがら生き延びてきた親夫妻のもの。 母親は3人の女の子に恵まれたが、一番下の子の三女は 帰還の途中で栄養失調のために死別。 38度線近くの土に埋めてきた。 
父親は捕虜となり、ソ連のエレブカに連れて行かれ、帰ってきたのは かなり後のこと。 そして帰国後の最後のチャンスに生まれたのが、この物語の主人公・四女の瑠璃川正子。 何しろ父母共に1906年生れで、40歳を過ぎての遅産。 このため、両親からは特別に可愛がられたよう。
しかし、父親は教育には厳しく、年違えの姉と同様に薬剤師の資格を、全員が持っている。 それだけではない。 正子の場合は簿記も覚えさせられ、会社の数字にも明るくなるように特訓を受けさせられた。 
しかし、薬剤師としての10年間は、子育てに追われ、専業主婦としての10年間でしかなかった。

母親が介護の生活に入ったのは1996年の90歳の退院の時から。 退院後も看護婦さんが訪問・指導してくれたので、家政婦や姉とともに6年間介護をしたあげく、2002年に母は亡くなった。 
父親は102歳まで元気だったが、102歳から1年間は認知症になって2009年に死去。 父親の介護は実質4年以上続いてた。 この両親の介護を通じて正子はいろんなことを学んだ。 
老いてゆく一時を、どうしたら有意義に幸せに過ごすことが出来るかと、民間の老人ホームに一年間勤めたこともある。 自分達が老人になった時に、どんな住宅に住んだ方が理想的かを真剣に考え、多くの老人ホームや施設などを視察。 
しかし、老人ばかりの住宅を見ているうちに、若者と共存出来る住宅こそ肝要だということに気がついた。 そして2006年に 「NPO法人 ちいきちいき」 を立ち上げて「ひととき保育方南」 を引受けたりしている。
2010年には新聞に載った 「ケアタウン小平」 と宮崎の「かあさんの家」 を 介護のプロの島根八重子さんと一緒に訊ねている。 その折、白十字訪問介護の 秋山正子さんを紹介してもらい、新宿に開設された 「暮らしの保健室」 を見て、「新築するであろう荻窪の施設にも、暮らしの保健室」 を併設する構想を固めている。

ともかく、施主の瑠璃川正子女史の意識は時代を抜いていた。 ほとんどのセミナーに参加して、その道のプロとの出会いも数多くあった。 
このため、そこいらの設計士事務所が作った通り一変の老人ホームのプランや、介護施設を備えただけのプランには満足出来なくなっていた。 
2007年、区の市民大学で、老人社会学の権威・澤岡詩野さんに出会っている。 いろいろ話合う中で、建築家・連 健夫氏を紹介されている。
この連氏との話合いはことのほか順調に進んだ。

まず、施主である二人の考えるそれぞれの試案を、絵に書いて提出してもらった。 この絵は3つから成っていた。 
①オーナーの住戸、②賃貸住宅、③地域への開放施設。 
これを具体化するために、連設計事務所から3つのプランが用意された。 そのプランを比較検討している中で、次第に1つのプランに集約されていった。
2015年に完成した 「荻窪家族プロジェクト」 は、以下の3つから構成されている。 
①オーナーの住戸は3階に設ける。 ただし、オーナー室は賃貸同様シャワー室だけとして、浴室および洗濯室は3階に設ける2つの展望浴室・洗濯室を、賃貸オーナーと共有して使用する。
②2階は主に25㎡の専有賃貸住宅からなる。 中央の北側の階段室を挟んで、左右に5戸ずつと1階に4戸、計14戸 (月額賃貸価格15万円、これにはテラス、共有ラウンジ、共有浴室・洗濯室などの費用が含まれている)。 そして、2階の中央階段室の南側の空間約8㎡ (約2.4坪) は、賃貸14入居者の公共の休憩室、ロビー、客間など、くつろげるラウンジとして使用される。
③1階は、東側は4戸の賃貸住宅。 中央の南玄関や北階段室を除いた西側全部が 地域に開放された集会室、ラウンジ、アトリエとして公開されている。 ごく一部は管理人室になっているが、1階の半分が地域に公開されている例は極めてまれ。 当然のことながら、暮らしの保健室なども早々にオープンしている。 隣人祭りや地域住民が参加したシンポジュウム、百人力サロンも頻繁に開かれているという‥‥。

ともかく、最初はオーナーの自宅からスタートした。 柿や梅の木のあるのどかな庭があり、野菜などがとれる畠仕事が出来た。 それが、やがて2戸のアパートと駐車場に姿を変えていった。
そして、10年近い介護生活を通じて、当初考えていた老人介護のやりやすい家から、多くのプロのアドバイスを得て 「距離感を保ちながら、仲間同士で住む家へ」 へと大きく方針が変わってきた。「そこでは飼い犬も一緒に住めて、高齢者だけではなく赤ちゃんがいたり大学生がいて、さまざまな世代が風のように行き来する住宅地‥‥」 に変わった。「そんな理想郷がないなら、自分でつくるしかない」 という施主・瑠璃川正子さんの熱い決意。
その決意に応えたのが、連設計事務所の柔軟な対応。
ともんかく、設計の段階や施工の段階で、住む人や建てる人の意見を取入れる柔軟さを持っていた。 さらには、「事前リノベーション」 と称して、若い設計士の意見を採用するという予算的な裏付けを伴ったシステムの考案と採用‥‥。

この著を読んでいて、あまりにも参考になる点が多いのにはビックリ。
しかし現実は、はたして施主の思いどおりになっているか、どうか?
その点がどうしても知りたい。 それには、個別の取材が不可欠。
今回は、とりあえず著書の紹介のみ。 
後の楽しみは、秋以降まで待って頂くしかない。




posted by uno2016 at 13:49| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | 更新情報をチェックする
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