2016年07月30日

ヨーロッパが主流で、日本などアジアに触れていないのが残念。



イアン・ミラー著 「水の歴史」 (原書房 2200円+税)

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いま、世界的に「水の危険が」が叫ばれている。
その、「今日的な問題に焦点を当てているはず‥‥」と考えて、借りてきて読んだ。
ところが、内容はどこまでもヨーロッパが中心で、人口が爆発的に増えて水飢饉が問題視されているアジア、中東、アフリカについての記述がまったくない。 
これは、あまりにも一方的で、今日的な大問題を等閑視しているイギリスの出版らしいと諦めざるを得なかった。
著者は、イギリス領のアイルランド問題に詳しく、「胃の現代史」 や 「飢餓後のアイルランドの食糧改革」 などの著作などがある。 つまり 「食のプロ」 が、水問題にまで手をひろげてきたということらしい。 しかも、ヨーロッパだけの知識で‥‥。

筆者が言うように、古代文明は川の周辺で発展した。 チグリス、ユーフラテスなどは、小学生の頃に学んだこと。
エジプトのフランス総領事のマイエ氏が、ナイル川の水を飲んで、「たぐいまれにみるおいしさだった」 と語ったと、著者はそのエッセイを紹介している。
「初めてナイル川の水を飲んだ人は、まるで芸術品だと思うだろう。 えも言われぬほど 口当たりが良く、心地のいい味なのだ。 この水には、シャンパーニュ地方のワインと 同じランクを与えるべきである」 と。
これを読んで、私は吹きだした。 ヨーロッパの人々は、よっぽど不味い水道水しか 飲まされていないのではなかろうか。 私は 感覚が鈍感なせいか、それほど ヨーロッパの水道水は、不味いと感じたことがない。 もしマイエ氏が、みどり豊かな 日本の井戸水とか 岩を流れる水を飲んだら、一体何と言っただろうか?

最近の都市生活者はともかくとして、ほとんどの日本人は、井戸水や岩を流れる水を手で掬って飲み、「アヽ 甘露、甘露」 と褒めそやしてきた。
ナイル川の水を飲んで、「たぐいまれなおいしさ‥‥」 などと叫ぶ日本人は いないだろう。 それほど、日本人はおいしい水に育てられてきた。 おいしい水が絶えなく降る雨水に守られ、何万本もの川と井戸と、山の緑に支えられてきた。
したがって、筆者の 言うように、ナイル川の水の うまさを有難がっている 著者の言うことなどは、信用出来ないという気になってくる。
ということで、私はこの著作を読む前から、不信感に陥っていた。
だが、この著作全体を 批判することは 正しくなかろう。 ヨーロッパ各国が 抱えている 「水問題」 として読めば、かなり革新的な著であることは 間違いない。 しかし、著者が最後に言わんとしている 「世界の水事情」 は、かなり間引きして読む必要がある。
この著書で面白いのは、第2章の 「古代の水文化に対する 再発見」 と、第4章の 「水と健康」 と、第7章の 「飲料水ビジネス」。
その中で、面白いと思った第2章を中心に、紹介したいと思う。

古代文明は、水源の周辺‥‥つまり川を中心に 発展した。 人間にとって、単に 飲料水だけではなく、洗濯する場所と、清潔な身体でいるためには、身体を洗う 新鮮な水が不可欠であることを知っていた。 ほとんどの古代都市は、川の近くで発展した。
例外もある。 例えば インカ帝国。 給水源が期待したほど近くにない場合は、遠方の泉から首都のマチュピチュまで、水を運ぶ技術を開発させねばならなかった。
ご存知のように、マチュピチュは標高2130メートルの驚くほどの高地にある。 そこまで水を運ぶには、傾斜する水路や水汲み場、段々畑を複雑に組合わせて、広範囲に 水を行きわたらせる必要があった。
きれいな水を確保するために、さまざまな技術や社会習慣を発展させた文明もある。 古代エジプト人が墓所に彫った絵から、水から不純物を取除く高い技術力が見てとれる、という。
また、紀元前200年の古代メソポタミア人は、公衆衛生に関する 法律を作ったという。 それよりも重要視されたのは、汚染源となる墓地や なめし皮工場、食肉処理場は、ため池や井戸から遠く離された。

しかし、今日でも驚嘆させられるのは、非常に複雑で入組んだ水管理システムを持っていた 古代ローマ。
歴代のローマ帝王は、清潔な水の重要性を心の底から理解していた。 そのため、帝国の主要都市に飲み水を供給けする壮大な水道橋システムを、奴隷を使って建築したことは 誰でも知っている有名な話。 ローマの町には9本の水道橋で水を運び、都市の周辺に貯水池や 水路、飲料用の公共噴水を作って、効率的に貯水と給水を行った。
イギリスは、ビクトリア朝後期に、やっと近代的な給水システムの基礎が築かれた。 しかし、手本になったのはどこまでも古代ローマ。 何とかして古代ローマを参考にして、その偉業を越えようと奮闘したエピソードは、今も語り継がれている。
産業革命の全盛期の1870年に、イギリスのクォータリー・レビュー誌に、ある作家の 19世紀の給水技術とローマ時代の技術を比較する以下の記事が記載されたという。
「現在見られているもっとも重要な進歩の一つが、飲料水の供給と公衆浴場の建設。 ローマでは膨大な費用をかけて 地方の都市ではもちろんのこと、個人の別荘の浴場でも水道が引かれたことが遺跡で見られる。 これは、19世紀のロンドン以上と言わねばならない‥‥」 と。

ローマ時代は、飲料水はカネを払って買うものだった。 一部の成金は別荘にまで浴室を引くことはできたが、それには 「水税」 がかけられた。 一般大衆は、町のあちこちにある底の浅い水盤から、タダで自在に水を得ていた。
ローマ帝国が崩壊したのは、この公共の水供給システムが破壊されたから。
したがって、どんなにローマ帝国がすぐれたシステムの上に成立っていたかが、うかがい 知らされるところである、という。イアン・ミラー著 「水の歴史」 (原書房 2200円+税)


いま、世界的に「水の危険が」が叫ばれている。
その、「今日的な問題に焦点を当てているはず‥‥」と考えて、借りてきて読んだ。
ところが、内容はどこまでもヨーロッパが中心で、人口が爆発的に増えて水飢饉が問題視されているアジア、中東、アフリカについての記述がまったくない。 
これは、あまりにも一方的で、今日的な大問題を等閑視しているイギリスの出版らしいと諦めざるを得なかった。
著者は、イギリス領のアイルランド問題に詳しく、「胃の現代史」 や 「飢餓後のアイルランドの食糧改革」 などの著作などがある。 つまり 「食のプロ」 が、水問題にまで手をひろげてきたということらしい。 しかも、ヨーロッパだけの知識で‥‥。

筆者が言うように、古代文明は川の周辺で発展した。 チグリス、ユーフラテスなどは、小学生の頃に学んだこと。
エジプトのフランス総領事のマイエ氏が、ナイル川の水を飲んで、「たぐいまれにみるおいしさだった」 と語ったと、著者はそのエッセイを紹介している。
「初めてナイル川の水を飲んだ人は、まるで芸術品だと思うだろう。 えも言われぬほど 口当たりが良く、心地のいい味なのだ。 この水には、シャンパーニュ地方のワインと 同じランクを与えるべきである」 と。
これを読んで、私は吹きだした。 ヨーロッパの人々は、よっぽど不味い水道水しか 飲まされていないのではなかろうか。 私は 感覚が鈍感なせいか、それほど ヨーロッパの水道水は、不味いと感じたことがない。 もしマイエ氏が、みどり豊かな 日本の井戸水とか 岩を流れる水を飲んだら、一体何と言っただろうか?

最近の都市生活者はともかくとして、ほとんどの日本人は、井戸水や岩を流れる水を手で掬って飲み、「アヽ 甘露、甘露」 と褒めそやしてきた。
ナイル川の水を飲んで、「たぐいまれなおいしさ‥‥」 などと叫ぶ日本人は いないだろう。 それほど、日本人はおいしい水に育てられてきた。 おいしい水が絶えなく降る雨水に守られ、何万本もの川と井戸と、山の緑に支えられてきた。
したがって、筆者の 言うように、ナイル川の水の うまさを有難がっている 著者の言うことなどは、信用出来ないという気になってくる。
ということで、私はこの著作を読む前から、不信感に陥っていた。
だが、この著作全体を 批判することは 正しくなかろう。 ヨーロッパ各国が 抱えている 「水問題」 として読めば、かなり革新的な著であることは 間違いない。 しかし、著者が最後に言わんとしている 「世界の水事情」 は、かなり間引きして読む必要がある。
この著書で面白いのは、第2章の 「古代の水文化に対する 再発見」 と、第4章の 「水と健康」 と、第7章の 「飲料水ビジネス」。
その中で、面白いと思った第2章を中心に、紹介したいと思う。

古代文明は、水源の周辺‥‥つまり川を中心に 発展した。 人間にとって、単に 飲料水だけではなく、洗濯する場所と、清潔な身体でいるためには、身体を洗う 新鮮な水が不可欠であることを知っていた。 ほとんどの古代都市は、川の近くで発展した。
例外もある。 例えば インカ帝国。 給水源が期待したほど近くにない場合は、遠方の泉から首都のマチュピチュまで、水を運ぶ技術を開発させねばならなかった。
ご存知のように、マチュピチュは標高2130メートルの驚くほどの高地にある。 そこまで水を運ぶには、傾斜する水路や水汲み場、段々畑を複雑に組合わせて、広範囲に 水を行きわたらせる必要があった。
きれいな水を確保するために、さまざまな技術や社会習慣を発展させた文明もある。 古代エジプト人が墓所に彫った絵から、水から不純物を取除く高い技術力が見てとれる、という。
また、紀元前200年の古代メソポタミア人は、公衆衛生に関する 法律を作ったという。 それよりも重要視されたのは、汚染源となる墓地や なめし皮工場、食肉処理場は、ため池や井戸から遠く離された。

しかし、今日でも驚嘆させられるのは、非常に複雑で入組んだ水管理システムを持っていた 古代ローマ。
歴代のローマ帝王は、清潔な水の重要性を心の底から理解していた。 そのため、帝国の主要都市に飲み水を供給けする壮大な水道橋システムを、奴隷を使って建築したことは 誰でも知っている有名な話。 ローマの町には9本の水道橋で水を運び、都市の周辺に貯水池や 水路、飲料用の公共噴水を作って、効率的に貯水と給水を行った。
イギリスは、ビクトリア朝後期に、やっと近代的な給水システムの基礎が築かれた。 しかし、手本になったのはどこまでも古代ローマ。 何とかして古代ローマを参考にして、その偉業を越えようと奮闘したエピソードは、今も語り継がれている。
産業革命の全盛期の1870年に、イギリスのクォータリー・レビュー誌に、ある作家の 19世紀の給水技術とローマ時代の技術を比較する以下の記事が記載されたという。
「現在見られているもっとも重要な進歩の一つが、飲料水の供給と公衆浴場の建設。 ローマでは膨大な費用をかけて 地方の都市ではもちろんのこと、個人の別荘の浴場でも水道が引かれたことが遺跡で見られる。 これは、19世紀のロンドン以上と言わねばならない‥‥」 と。

ローマ時代は、飲料水はカネを払って買うものだった。 一部の成金は別荘にまで浴室を引くことはできたが、それには 「水税」 がかけられた。 一般大衆は、町のあちこちにある底の浅い水盤から、タダで自在に水を得ていた。
ローマ帝国が崩壊したのは、この公共の水供給システムが破壊されたから。
したがって、どんなにローマ帝国がすぐれたシステムの上に成立っていたかが、うかがい 知らされるところである、という。




posted by uno2016 at 08:57| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
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