2017年01月07日

ジェン・スマイリー著  「コンピュータに記憶を与えた男」 (河出書房新社 2400円+税)

コンピュータ記憶.jpg

副題は、「ジョン・アタナソフの闘争とコンピュータ開発史」
アタナソフ氏は1903年の生まれで、1995年に91歳で死んでいる。 いわゆる「過去の人間」で、私などはこの本を読むまでは、その存在すら知らなかった。
ブルガリアからの移民で、ニューヨーク州で生まれ、1960年に妻とともにニューヨークから西南に約300キロメートルも離れたメリーランド州の丘の上の農場を終生の棲み家に選んで、そこで生涯を終えている。

筆者は、9歳の時に計算機の使い方をマスターして、すぐに「対数」も覚えた。 高校はたった2年間で卒業し、1925年には最南端のフロリア大を 優秀な成績で卒業して、電気工学の学士号を得ている。
その後、シカゴの西に位置するアイオワ州立大学に進学して 1926年には数学で博士号を取得している。 さらには1930年には、シカゴ市の北にあるウィスコンシン大学のマジソン校で理論物理学で博士号も取得している。
ともかく電気工学の学士号をはじめとして数学の修士号、理論物理学の博士号と、大変な秀才。
そして、アイオワ州立大学で、数学と物理学の助教授の職を得ている。

その学位論文を書く時、当時早くも利用可能であった機械式計算機 (モンロー式計算機) の扱い難さに辟易させられていたアナタソフ氏。
彼の論文は、あまりにも専門的にすぎて、私にはよく分からない。
たった10頁の論文を書くのに、数日もかかったこともあったらしい。
タイプライターのようなキーが100個も並んでいて、ずっしりと重い金属性の卓上計算機。
しかし、これを使う以外には方法がなく、何週間もかけて計算しなければならなかったようだ。
自分だけが努力を求められているのなら、まだ許せる。
しかし、自分が教える立場になった時、教え子達も同じ苦労を強いられている。 それを見ているうちに、彼の考えは自然に変わっていった。
彼の見積もりによると、一人の人間が可能な限界は、未知数8個の数式を8つ解くのに8時間、未知数20個の数式20個を解くのには、125時間もかかる。
この改善を模索していたことが、そもそもアナログ式コンピューター時代を開く動機にになろうとは‥‥本人も気が付いていなかった。 ともかく、モンロー式ではダメなので、IBMのタブュレータの応用を研究したりした。 

こうして、今から81年も前の1936年にはアナログ式コンビュターが完成。
当時アタナソフ氏は34歳という若いアイオワ州立大学の物理学の准教授。 これだと20から30の未知数が限界であって、単に教育や科学の進歩だけではなく産業、行政、軍事の分野でも 深刻な障害になると考えられた。
こうして、アタナソフ氏と院生・クリフォード・ベリー氏のコンピュータ (それはABCコンピュータと言われるが‥‥) が、1937年~1938年にかけて着想が生まれ、1939年11月に試作品が完成している。
このABCに盛込まれた主なアイデアは、二進記数法とブルー理論によって29次線形連立方程式をとくというものであった。 何を書いているのか、私にもさっぱり分らない。 詳しいことを知りたい方は、この本を読んで頂くか、あるいはメールを開いて下記の「ジョン・アタナソフ」を検索して頂くしかない。
http://ja.wikipedia.org/wiki%E3%82%B8%E3%83%A7%E…
ともかく、ABCにはCPUにはない、真空管などの電子部品を高速化するように設計されている。
また、コンデンサによるメモリを備えていて、原理的には今日のDRAMメモリと同じであると言っている。 私には意味が通じないが、分る人には分るはず‥‥。

ともかく、コンピュータを巡る特許紛争は、私のような部外者には絶対に分らない難解なもの。
ENIAC特許といっても、どれだけの人が分っていることか‥‥。
そして、コンピュータが今日の隆盛を見たのは、何もジョン・アタナソフ氏とクリフォード・ベリー氏だけの功績ではない。
考えても見て頂きたい。 実に多くの人々が、ハードだけではなくソフト面での開発を行ってきている。 このために、コンピュータというのは未曽有の発展を遂げてきた。 そして、私などが知らない未知の世界に突き進んでいる。 これは、もはや一部の人の特許を超越して、世界的な規模で拡がって行きつつある。 その中で、貴方がどれほどの役割を果たして行くか?
興味はこの一点に絞られてきていると言っても過言ではなかろう‥‥。




posted by uno2016 at 16:43| Comment(1) | 技術・商品情報 | 更新情報をチェックする
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