2016年02月20日

高齢者になった「団塊の世代」の人々の面白い本音が聞ける小説!



堺屋太一著「団塊の秋」(詳伝社 1700円+税)

写真.JPG

堺屋太一というと、通産省在職中に 「油断」 を書いて作家としてデビュー。 そして1976年刊の 「団塊の世代」 では、第一次ベビーブーム世代をこのように呼んで一世を風靡した。 たしかに最近は 「秀吉」 などの歴史小説や評論活動も注目されるが、氏を有名人にしたのは 「団塊の世代」 であり、この小説は その後の高齢化しつつある 「団塊族」 を、未来に向けて追跡したもの。

かつては 「ヤング」 とか 「ハイティーン」 と呼ばれた若者。 1947~48年生まれで、1971年に大学を卒業した若者。 就職先も決まって4月から勤めると、なかなか 海外へ行くチャンスがないだろう。 その3月に、「カナダ・アメリカ15日間の旅・学生割引」 が計画されたものと、ほとんどが捉えて申し込んだ。
ところが内実は、旅行会社が50人程度の団体航空券を割引で購入したが売れ残ってしまった。 慌ててその分を学生割引に当てたものらしい。 たしかに1ドルが360円時代だったので、35万6000円は割安に感じられたが、学生割引はたったの12席だけ。 飛行機の座席はいつも最後尾で、しかも通りの内側の席。 窓外の景色を楽しむことも出来ないし、食事は最後になるしで、散々な待遇。
バンクーバーのホテルへ到着するのが遅れたこともあって学生の不満が高まり、「明日は8時にこのホテルを出発し、カルガリーまで飛んで、次の日はロッキー山脈の中腹にあるバンフで スキーを楽しみます」 と言う添乗員に反発する声が出てきた。
「カナダに来てまでスキー場へ行ってもつまらない。 レンタカーを借りてみんなでカナダの大地を走り、大規模農業の実態に触れ、エドモントンには世界最大のモールが完成している。 それを徹底的に見たいと思うが、賛同者はいないか?」 と、東大卒で厚生省に就職が内定している加藤誠一が提案した。

たった2日間だが、自由行動をしょうと言う提案。 これには、体育系の 「是非 スキーをやりたい」 という3人を除いて9人が賛成した。 そして、添乗員との交渉や、レンターカー屋との交渉を自らやろうということになり、レンタカー2台を借りている。
一同は、高速道路沿いのレストランで分厚いステーキを食べ、小麦のサイロをカメラに収め、恐竜博物館を見学して、レッドディアの高層ホテルへ泊まって、大平原に沈む [カナディアン・サンセット」 を気が済むまで堪能した。
部屋代は、エキストラベッドを入れれば一人当たり6ドルで済んだ。
翌日は、エドモントン市の大商業施設の中を駆け巡り、1マイルも続く穀物列車に驚き、夕方の4時にはカルガリー空港の集合場所に無事到着している。 2日間の出費は1人当り22ドル。 空港で添乗員から1人10ドルの返済金を貰っている。

これは、とでこまでも私の体験だが、バスで視察するのとレンタカーで視察するのでは、有難さか丸きり違ってくる。 バスだと、最前列に座っていても、視線が高いせいかいま一つ臨場感がない。 まして後ろの席では、実感が伴わない。
これに対してレンタカーの場合は、風景も現場の雰囲気も実にナマナマしく伝わってくる。 このためアメリカやヨーロッパへ行った時は、出来るだけレンタカーを使うことにしている。 ということは、出来るだけ少人数での視察の方が、良い旅になるということ。
おそらく、バスではなくレンタカーで2日間動いたと言うことで、全員の印象が画期的に良くなったはず‥‥。
「その後も、何回となくカナダやアメリカを訪れているが、この時の旅行ほど強く印象に残っているものはない」 と、参加した全員が異口同音に言っていることからも、それが伺える。

そして、この時の印象があまりにも強烈だったので、参加した9人は、「毎年、年に1回は皆で会おう」 ということになった。 会の名前は加奈陀(カナダ)、米国(アメリカ) の漢字をとって「加米(カメ) の会」 と付けられた。
そして、幹事役として三友銀行に入社予定の福島正男と 毎朝新聞社に就職する予定の古田重明を選出した。 最初の2年間は間違いなく連続して開いたが、中心になる人物が アメリカやヨーロッパに駐在員に選らばられたりして、次第に3~5年おきにということが多くなってきた。 しかし、55年間に亘ってこの 「加米(カメ) の会」 が16回も開かれてきたというから、お見事というしかない。
この加米の会のメンバーは、当日参加した男性6人はその後も引き続き参加している。
団長役の厚生省の加籐精一と幹事役の三友銀行の福島正男、毎朝新聞の古田重明は紹介済みだが、この外に関西在住の京大を出て弁護士から衆議院、参議院の民主党議員になった石田光治と、関西私大卒で電気メーカー労組の委員長になった山中幸助。 そのほかに慶大卒で新潟で親父の建設会社を引継いだ上杉憲三。
女性は3人が最初の旅行に参加した。 いずれも大久保春江の4年生女子大の仲間。 大久保は高校教授になって加米の会に欠かさず出席しているが、高山益代は結婚して外地に赴任して一度も出席していない。 もう1人の雑誌社勤めの筒井順子は最初の会には出席したが、2回目からは欠席。 名字か変わらないところをみると独身らしいが、その後の音信はない。
したがって、加米の会は、実質 「7人の会」 とも言える。

そして、この小説は6章から成立っているが、6章のうちなんと未来の時期設定が5章にもおよんでいる。 そして7人の主人公はそれぞれ年をとって、定年退職したり、関連機関や企業へ肩を叩かれて移っている。
◎第1章  2015年春  主人公7人の平均年齢 67~68歳
◎第2章  2017年春                  69~70歳
◎第3章  2020年春                  72~73歳
◎第4章  2022年春                  74~75歳
◎第5章  2025年夏                  77~78歳
◎第6章  2028年夏                  80~81歳
このように、著者は6つの年代にわけて、各主人公達が当面している問題や意識を取上げ、探索している。 普通の小説とは違って、主人公の心のアヤを描くというより、どうしても客観情勢を説明することに力点が置かれるので、内容は異様なものにならざるを得ない。
この全ての章を紹介することは出来ない。
私が読んで、「あれ!」 と感動した点だけを紹介し、後は皆さんの読書力に一任したい。

ます、東京オリンピックが開催される2020年の毎朝新聞の記事。
[しぼむ! スポーツ熱  燃える! お祭り気分」
東京オリンピック・パラリンピックまであと100日。 会場の周辺の整備は進んでいるが、人口の高齢化が進み、スポーツ熱は盛り上がらない。 プロ野球は 昨年から8チームでの1リーグになった。 年間の観客数はピーク時の2004年に比べて半減して延べ1300万余人。 この背景には高校野球人口の減少がある。 地方予選の出場校はピーク時に比べて3割減。 少子化で子どもが減った上に、生徒が厳しい練習を嫌う風潮もある。
サッカーの状況はさらに厳しい。 ピーク時に40チームを数えたJリーグも、今年は24チーム。
競技年齢の高いゴルフ人口も激減して、ゴルフ場数は800を割り、ピーク時の4割減に。
オリンピック委員会も 「純血主義」 を放棄して、外国人に日本国籍取得を勧めて、日本代表として出場させる方針に転じた‥‥。

次は、最後の章に掲載されている経読新聞2028年7月30日の経済担当大臣の談話の一部抜粋と、新潟の上杉憲三の17回目の 「加米の会」 への参加のお誘い文の一部の紹介。
まず、「もはや、下り坂ではない!」 と言う担当大臣の談話の抜粋。
日本は1990年台は、①1人当り国民総生産  ②平均寿命の長さ  ③事故や事件の少なさで、世界一と言える 「三冠王国家」 になった。 しかし戦後45年間、日本の高度成長を支えてくれた3要素が一変。 ①世界的な資源が逼迫  ②規格品大量生産から多様化・情報化・主観化商品の転換  ③少子高齢化の進展 によって、日本の停滞と後退が始まった。
だが、今年になって日本にも、やっと明るい兆が見えてきた。
第1は出生率の回復。2005年の1.26から昨2027年は1.6を超えた。 第2は、貿易収支の改善。 昨年は3年連続で前年を下回り、赤字幅は3兆円を下回った。 そして第3は、何よりも起業する若者の増加。  これからの日本は、引退後の高齢者の最後の棲み家として選ばれる場所になって行くべきだと思う‥‥。

次は、上杉憲三氏の 「第17回 加米の会」 の上越への招待状と、「現状報告書」 の抜粋から。
上杉は招待状で次のように述べている。
「本年で、私も80歳の 《傘寿》 を迎えました‥‥。 このたびは趣向を替えて、上越市にご夫婦でお越しいただければと思いご招待状をさし上げます。 会合は8月後半から9月にかけて、皆さま方のご都合の良い日を選びたいと考えております。 上越市も東京・大阪と新幹線で繋がり、1時間40分ほどでご来駕頂けます。 新幹線・上越妙高駅までは、私どもの娘や婿が車でお出迎いさせて頂きますので、ご到着時刻を‥‥」

この、招待状に添付した 「現状報告書」 の抜粋。
「皆さんご案内のとおり、当社はバブルの崩壊によって、1995年に倒産を経験しています。 たしかにその時は建築技師の娘婿・山田司朗に養われている身でした。 朝昼夜とも2枚のパンと 庭で育てたわずかな野菜と卵での生活でした。 しかし、この時期を灼熱地獄の夏とすれば、2014年からの6年間は、秋口の海浜のように人影の見られない寂寥感に満ちた時期でした。
私が現職の「電気守」の仕事に気が付き、事業を始めたのは10年近く前の2020年の東京オリンピックの前年です。 電力の発送電分離が実現し、太陽光発電買取制度が廃止になり、これによって太陽光発電が無制限に造れるようになりました。
私は、上越平野に拡がる休耕田や廃業ゴルフ場跡地を太陽光発電事業を行ったら‥‥と夢想しました。 その時ヒントになったのは加米の会の仲間・大阪の山中幸助さんのビジネスヒント。 明治や大正時代の植林事業の事始め。
山間部の人々が、スギやヒノキを植えて、大都市の資産家に売却し、自らは 「山守」 として管理人となって収益の一部を得たという話。 「これだ!」 と私は感じました。
娘婿の調査研究によると、「雪国の太陽パネルにはシリコン系よりCIS (銅、インジウム、セレンの合金) が良いという。 そして、積雪対策として底辺の高さを1メートルにして、45度の傾斜を付ければ良いと教えてくれました。
そしてなんとか10人の出資が決まり、2020年にの9月には2000台のパネルが完成。 ほぼ予想通りの発電能力を発揮して、買い上げてもらって 「電気守」 に。
これで弾みがついて2021年には1ヶ所、2022年には2ヶ所で2000キロワットを資産家に売却。
以来年々増加して2028年には完成予定が4ヶ所にもなります。
目下の私は婿に仕事を譲って 「電気守」 の相談役として、手伝う身分にすぎませんが‥‥。


この著の面白さは、単なる 「団塊の世代」 の考えだけではなく、こうした企業のノウハウが随所に散りばめられているところにある、と言える。




posted by uno2016 at 15:05| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。