2016年06月05日

新国立競技場の木にこだわる隈研吾氏の熱くて固い決意!


隈 研吾著「なぜぼくが新国立競技場をつくるのか」(日経BP社 1500円+税)

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隈研吾氏は、伊東豊雄氏ともどもに、現存する建築士の中では私が最も尊敬している人物。
以前に、「独善的 週刊書評」 の中で隈氏の著作 「負ける建築」 を紹介した。 いつ頃だったかと調べるために、「週刊書評」 を開いたが、出ない。 念のためにリンク先の「NPO法人北海道住宅の会」 を開いても、出ない。
「北海道住宅の会」 そのものが、2年前の高倉事務局長の死によって、その後解散したらしい。 そのことを、誰も教えてくれなかったので、著作権があるからとのほほんと構えていた私に 責任があるらしい。 大至急に対策を取るべく 関係者に連絡をとったばかりだが、返事がない。 いま暫くはこの常態が続くものと覚悟していただきたい。

その隈研吾氏の久々の著作が出版された。 出版されたことを、日経BPメールに掲載されていたので、あわてて紀伊国屋へ走り、仕入れてきた。 内容は、やたらに面白い。
ご存知のように、2020年に開催される東京オリンピックのために、新国立競技場の基本構想が 国際コンペが開催されてザハ・ハディッド女史案が選ばれたことは記憶に新しい。 ところがこの報道がなされたら、日本の建築界の大御所である槇文彦氏をはじめ、多くの識者から ザハ案に対する批判が相継いだ。 曰く 「背が高すぎるし、規模も大きすぎて、神宮の風景にあわない」 とか 「予算を無視した絵にすぎない」 という批判の嵐。
政府も、最初は 「時間がないから‥‥」 と 予算問題などを逃げる予定だったらしい。 だが 世論の反撃に抗しきれず、ザハ案をキャンセルして、白紙撤回にしてしまった。
そして 設計・施工を一括にした日本チームのA案とB案に絞り、村上周三委員長とする 7人の委員会で610点対602点という 8点という僅差で、A案が選ばれた。 このA案チームは、大成建設と隈研吾+梓設計チーム。 B案は竹中・清水・大林の施工大手3社と伊東豊雄+日本設計チーム。

私の大好きな隈研吾氏と伊東豊雄氏が、A組とB組に分かれたので、困ってしまった。 困ったのは私だけではなかった。
この著は、7章からなっている。 最初の4章で 隈研吾氏がA組に巻込まれた経緯と、新国立競技場という公共施設で、本格的に木を採用する意義を縷々述べている。 そして5章で大成建設の山内会長、6章で梓設計の杉谷社長が登壇し、編集者と対談している。 そして最後の7章で、著者の隈氏と茂木健一郎氏が対談し、ざっくばらんに いろんなことを述べているが、これはなかなか読ませる。
その中で茂木氏は次のようのに発言している。
「僕個人としては、隈さんに決まって良かったなと素直に思っている。 しかし伊東豊雄さんとも親しいので、B案に決まっても、それはそれで順番として良かったのかな、と思っていた‥‥」 と本音を述べている。
まさしく、私と同じ感想を持っていたことに、ビックリ。

ともかく、1964年の東京オリンピックは、新幹線と高速道路の完成というおまけまでついて 日本が先進緒国へ仲間入りすることが出来た記念碑。
それと同時に、まだ10歳だった隈氏は、父親に連れられて国立代々木競技場の体育館を見て 丹下健三氏の鮮やかな建築に感動して、その場で建築家になることを決めている。
ともかく、戦後の建築家で最初にコンクリートという素材を自在に使った筆頭は丹下氏。 そして1964年の東京オリンピックで美しい大屋根の代々木体育館を実現させ、多くの人々の共感を 呼ぶとともに、1913年生れの丹下氏は戦後の建築界の第一世代の雄として輝いた。
丹下健三と言う建築家は、単に自己主張するだけではなく 大型建築物が持つ 「公」 という意味を誰よりも深く理解していた。 建築物というものは、カッコ良いだけではなく、コミュニティのよりどころにならないといけないという、本質が分かっている貴重な存在。
そして第二世代が、彼の教え子である 槇文彦氏 (1928年生れ)、磯崎新氏 (1931年生れ)、黒川記章 (1934年生れ) の3氏。 筆者は敬意をこめて 「丹下先生の3弟子」 と呼んでいるが、槇氏は都市性、磯崎氏は芸術性、黒川氏は大衆性を備えた達人。 しかし丹下氏は、1人で3人の弟子を上回る才能を備えていたとベタ褒め。
筆者の分類によると、第三世代が共に1941年生れの安藤忠雄氏と伊東豊雄氏。 そして、第四世代が隈研吾氏 (1954年生れ) をはじめ、妹島和世氏や坂 茂氏などということになる。

しかし、1980年から神宮外苑に事務所を構えてはいたが、新国立競技場の設計に 携るようになるとは、隈研吾氏は夢にも考えていなかった。 国際コンペの開催は知っていたが、応募条件として「ブリッカー賞やアメリカ建築協会のゴールドメダルを獲得者、あるいは 大規模スタジアムの実績がある者」 という条件がついていたので、最初から 「お呼びでない」 と考えていた。
ところが、ザハ案が却下された時、突然に大成建設から、「一緒にやりませんか」 と声がかかってきた。 筆者は、「呼ばれたらやる」 という基本姿勢を貫いている。 つまり、自分から売込んだり、押しかけたことは一度もない。
声がかかった時、「喜んで引受けます」 とは言ったが、残された時間はわずか2ヶ月半。 通常、最低でも4~6ヶ月の余裕があるのに‥‥。
時間がない中で、建築家が変な自己主張を始めたら、あっという間に締切がきてしまう。 確かに創造性も大切だが、創造性を発揮できる風通しの良い 「場」 をつくることがより重要。 メンバー間に信頼性がないと、コミュニケーションが成立たず、チームワークが生まれない。 このため初期のミーテングでは、もっぱら筆者は聞き役に徹している。

筆者が設計に際して、いつも意図してることが2つある。
1つは、なるべく 「建築の高さを低くしたい」 こと。 もう1つは、「地元の木材などの自然素材を使いたい」 ということ。
大成建設が筆者を選んだのは、「暗にこの2つの条件こそが、新国立競技場という場にふさわしいと考えたからではないか」 というのが憶測。
新国立競技場の設計要項には、観客席やフィールド、建物形状、環境保全や安全性など 細かく書かれている。 それらの条件を満たそうとすると、建物の高さを低くすることは容易ではない。
筆者は、個人的にサッカーやラグビー場を見てきたが、「このスタジアムはいいな‥‥」 と感じたことは1つもなかった。 どれも 「裏側」 がダメ。  裏側はコンクリートの骨組みのままで、悲しくなってくる。 したがって、裏側を良くしたかった。
しかもB案は客席が2層なのに対して、A案は3層。
ザハ案は高さか75メートルだった。
しかし、大成建設と梓設計の構造担当者に東大の稲山教授、東芸大の金田准教授という プロの構造屋によって、大屋根を支える構想の単純化と木と鉄を組合わせるハイブリッド化。 さらには、客席の各階の高さを切詰めることで、49メートル高に納まることが判明。
ザハ案の65%高に納まるという見通し。

この報告を受けた時、筆者はこの事業の成功を確信している。
ちなみに、解体前の国立競技場の天井高は、照明の上部で60メートル高だったという。 これに比べても20%も低い。
そして、新国立競技場の設計に当り、筆者が 自分で幸運だと感じている点は、建築関連の法規が変わり、この数年間で国産の木が大変に使いやすくなってきたこと。
単に法規面だけでなく、予算面やデザイン面、あるいは木材の不燃化や防腐面でも リーズナブルな素材としての認識が広がってきた。
しかし、木を使うことで価格が高くなり、予算面でオーバーしては全く意味がない。 そういった点で、筆者がもっとも気を使っているのは、地場の町工場で簡単に作れる木の素材を選ぶこと。 大断面集成材というのは、カッコ良いかも知れないが地場の町工場では作れない。
今回の新国立競技場に使うのは、外壁は一般に流通している10.5センチ厚の安いスギ材。 屋根は33センチのカラマツの小ぶりな集成材。 加工に特別な設備が不要で、簡単に入手出来る。
木造に拘る以上は、どこまでも国産材に拘りたいというのが筆者の態度。

私か不思議に思うことは、どうしてこれほどまで 筆者が 「コンクリート嫌いになったのか」 ということ。 本文をよく読んでみると、その原因は阪神淡路大震災にあることが分かった。
あの大震災で、コンクリートの高速道路が、根本からひっくり返ったことを、未だにトラウマに感じている。
私と故杉山先生が、神戸の被災地を見て痛感したのは、在来木造住宅のあまりにも脆弱さであった。 ツーバイフォー住宅はほとんど倒壊しておらず、ほぼ無傷。 しかし 在来木造のほとんどは通柱が折れ、1階が押し潰され、1階で寝ていたほとんどの人を圧死させてしまった。
正直なところ、「もう木軸住宅には、未来がない」 と感じた。
そして、阪神淡路と同じ震度7を記録した中越地震の烈震地・川口町。
ここは豪雪地帯で、神戸のような9センチの細い通柱ではなく、4~5寸の通柱を使っていた。 それなのに激震地では90%以上が倒壊していた。 豪雪地帯でツーバイフォー工法は採用されておらず、外壁に構造用合板を張ったスーパーウォール工法のみが、倒壊を免れていた。
そして、特筆すべきは豪雪地帯なので全ての1階は、ダブル配筋のコンクリートで作られていた。 このコンクリートの1階部分は、1つも損傷がなかった。
アメリカやカナダの東海岸地帯は、軒並みコンクリートの地下室や半地下室を持っている。
また、ハリケーン地帯でも、必ずコンクリートの地下室を持っていて、いざという時に命を守る場として、北米ではコンクリートの地下室、半地下室は不可欠な存在。

故杉山先生は、神社仏閣に木が使われ、それが永い寿命を持っているのは 当り前だと言っておられた。 木造を語る場合に、「神社仏閣を語る人間は、庶民の住宅の実態を知らない者だ」 と軽蔑しておられた。 そして、先生の研究の中心は、「在来木軸の中でも大貫工法」 に限られていたと言っても過言ではない。
阪神淡路大震災と中越地震後に出てきた木造住宅用の金物工法。 大手の住宅メーカーも軒並み採用しているらしいが、やたらに使用部材が多く、北米の耐震性や耐火性で安全なツーバイフォー住宅に比べて30%も高い。
住宅の寿命は、コンクリート造を含めて100年。
これに対する隈研吾氏の論理は、日本の神社仏閣からスタートしており、木造住宅の実態から離れていることが、私は懸念されてならない。




posted by uno2016 at 08:50| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | 更新情報をチェックする
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