2016年12月16日

ちょっと古すぎると言うか、さすが大下英治伝記だと感動すべきか? 


木下英治著 「挑戦 小池百合子伝」 (河出書房新社 1600円+税)

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私は、大下英治氏の大ファン。 その著作は10点以上は読んでいる。 大下英治と言う個人を信頼したモノとは限らない。 彼は、若きライターを大勢抱えていて、彼等の取材を活かして 多くの著書をモノにしている。
たとえば、①力動山の眞実、②伝説のディラー、③カリスマに学ぶ眼の前の壁を突破する力、④広島やくざ戦 (上) (下)、 ⑤不屈の横綱・千代の富士、⑥永田町の知謀戦、 ⑦自由民主党の深層、⑧田中角栄の大予言、⑨田中角栄巨魁伝、⑩江副浩正とは何者‥‥等々。
ともかく 一流ライターの取材が完璧で、どんな著書でも安心して読める。 それが、木下英治伝記の特徴でもある‥‥。
その木下英治氏が、今年7月31日の選挙で次点の自民・公明党が推した増田寛也前総務大臣の179万票を100万票以上も上回る291万票を獲得した小池女史。 その小池東京都知事を対象にした 「挑戦  小池百合子伝」 を書いたと知って、図書館へ早くから申込んでおいた。 それが先週 「予約されていた本が届きました」 との連絡があり、イソイソと図書館へ急いだ。

ところが、著者の 「あとがき」 を読んでガッカリ。
なんと、この図書は8年前に書かれていたもの。 そして、プロローグの前に、「都知事・小池百合子」 と言う名の都知事選挙戦模様だけが、34頁がつけ加えられただけのもの‥‥。  なんだか、ペテン師に出会ったような嫌な気分に。
この本は、今売出すべきではない。 もっと、都知事としての小池百合子が 如何にに努力したかを取材して、書き改めるべきもの。 でないと 木下英治氏の伝記という名と、出版社の河出書房新社という名門に傷がつく。
しかし、小池百合子女史という今まで聞いたこともない名を、都知事になってからやっと知った私には、その生立ちとかを知りたいと熱望していたので、この本は格好の入門書。
正直なところ、最後まで楽しく読ませて頂いた。
したがって、複雑な思いの中でとまどっているのだが、小池百合子女史の生立ちやテレビ・キャスターから政治家へ転身する、彼女の過去を振返ってみたい。

なにしろ、この著は430頁にも及ぶ力作。 簡単には読み終えない。 読了するには かなりの覚悟が必要になってくる。
小池百合子は1952年 (昭和27年) 7月15日、兵庫・芦屋市の生まれと言うから、今年 64歳の立派なおばあちゃん。 しかし、さすがは芦屋生まれ。 祖父の喜兵衛は シアトルで 仲間とともに 「三昌物産」 という貿易商を興業した経営者。
父の勇次郎は、海軍中尉となり、戦後はペニシリンの販売で財をなし、ガソリンスタンドなどの石油関係で、若くして関西経済同友会の幹事を務めたほど。
いずれにしても、芦屋の百合子の周りには多くの外国人が住んでいて、知らず知らずに百合子の目は海外に向けられていた。 それに、独立心の強い母親・恵美子の影響も受けた。
「結婚は最終目標ではなく、通過点にすぎない。 結婚相手がいつ死ぬか、いつ どんな災難が降りかかってくるかは分らない。 したがって、女性の貴方も手に職をつけ どんな苦境にも耐えられるようにしなければならない」 と、常に言っていた。
父親もよく言っていた言葉がある。
「人と同じことをやるのは、恥だ。 それで成功しても、当り前。 皆が気がつかないことをやるから、意味がある」 と。

百合子は昭和40年に、関西財界のお嬢さんが入る甲南女子中学に入学。 それまでのこづかいは基本で500円。 それが、一気に20倍の1万円に。 母親が言った。
「1万円にする代わり、着るもの、文房具、授業料、遊びに行く時の小使いまで、全部 自分の責任で賄いなさい」 と‥‥。
母親は、「自分が好きで苦にならないこと、時間があっという間に過ぎる道を、生涯の仕事として自分で選びなさい」 とも言う。
百合子はいろいろ考えた。 その結果、「この条件にピッタリと合うものは、英語しかない」 と気がついた。「タイム」 や 「ニューズウィーク」 「セブンティーン」 を読んでいる時、どんなに難しかろうと苦痛には感じなかった。 時間もあっという間に過ぎる。 それどころか英語の先生が知らない単語を見付けることが、ひそかな楽しみになっていた。
「私は英語で身を立てよう。 同時通訳か、外交官になろう」 と考えた。

その時、テレビでアポロ11号が月面着陸する寸前を写していた。 同時通訳者が 難しい専門用語を駆使して、アポロと NASA の専門用語によるヤリトリを伝えていた。 それを見て 百合子は思わず叫んだ。
「専門用語すら覚えられないのに、同時通訳なんておこがましい。 今までの希望は どこまでも自己満足にすぎない。 英語+αが不可欠」 だと悟った。
その+αに何が良いかを考えた。
もちろん、フランス語とかギリシャ語も考えた。 ところが、ある日の新聞に小さく 「国連の公用語に、アラビア語が加わる」 と出ていた.
父が、「日本の石油のほとんどがアラブ諸国から輸入しているのに、日本はあまりにもアラブ諸国のことを知らなさすぎる」 と嘆いていたことを思い出した。
「そうだ。 エジプトへ留学して、アラビア語をマスターする!」

父に相談したら、「ああいう国は直接行って 交渉しなけれはダメだ」 と言われ、カイロに飛んで文学部長に合い、入学させてほしいと交渉した。
「ところで、貴女はアラビア語が出来るのか」 と聞かれ、「これから勉強します」 と答えた。
「ここでの授業は、すべてアラビア語です」 と、簡単に門前払い。
そこで、カイロのアメリカの大学へ入学し、やがてカイロ大学に進み、唯一 1年間ばかり日本人学生と同居生活をしている。
カイロ大卒業生としては2人目という 栄えある24歳の卒業生になった。

そして、1977年1月に日本へもどり、東京で通訳業をやりながら、1979年の4月から、当時のテレビ番組としては有名な政治評論家・竹村健一氏の 「世相講談」 のアシスタントに抜擢されている。 私もファンの1人であった竹村健一氏は、幅広い見識を持ち、歯に衣を着せぬ鋭いトークと、トレードマークのパイプと独自の風貌、愛嬌とユーモアを感じさせる関西弁で、忘れられないインパクトを視聴者に与えていた。
この「世相講談」は、日本テレビの月曜日から金曜日までの 毎日午前10時05分から10時20分まで開かれていた人気番組で、視聴率はウナギ登り。
もちろん竹村健一氏の魅力もさることながら、決して竹村健一氏に妥協しない小池百合子の存在が次第に評価されていった。
「トルコ風呂」を「ソープランド」と言わせる運動などを通じて、小池の評判が高まり、平日朝の経済番組にも起用され、1988年の4月から小池百合子をメインとする午後11時半から午前0時15分までの45分間にもおよぶ、日経の 「ワールド・ビジネスサテライト」 が発足した。

その後湾岸戦争が起り、バブルも弾けて松下政経塾の細川氏が主宰する 「日本新党」 へ参加して、自民党の中でもがき続けた小池百合子女史が、東京都知事に当選したのが今年の7月。
政治家として小池百合子女史は、想像以上の辛苦を舐めている。
その詳細を知りたい方は、この本を一読されることをお勧めしたい。
ともかく、政治家になることだけは、皆さん諦めましょうよ。




posted by uno2016 at 17:16| Comment(0) | 技術・商品情報 | 更新情報をチェックする
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