2016年06月05日

新国立競技場の木にこだわる隈研吾氏の熱くて固い決意!


隈 研吾著「なぜぼくが新国立競技場をつくるのか」(日経BP社 1500円+税)

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隈研吾氏は、伊東豊雄氏ともどもに、現存する建築士の中では私が最も尊敬している人物。
以前に、「独善的 週刊書評」 の中で隈氏の著作 「負ける建築」 を紹介した。 いつ頃だったかと調べるために、「週刊書評」 を開いたが、出ない。 念のためにリンク先の「NPO法人北海道住宅の会」 を開いても、出ない。
「北海道住宅の会」 そのものが、2年前の高倉事務局長の死によって、その後解散したらしい。 そのことを、誰も教えてくれなかったので、著作権があるからとのほほんと構えていた私に 責任があるらしい。 大至急に対策を取るべく 関係者に連絡をとったばかりだが、返事がない。 いま暫くはこの常態が続くものと覚悟していただきたい。

その隈研吾氏の久々の著作が出版された。 出版されたことを、日経BPメールに掲載されていたので、あわてて紀伊国屋へ走り、仕入れてきた。 内容は、やたらに面白い。
ご存知のように、2020年に開催される東京オリンピックのために、新国立競技場の基本構想が 国際コンペが開催されてザハ・ハディッド女史案が選ばれたことは記憶に新しい。 ところがこの報道がなされたら、日本の建築界の大御所である槇文彦氏をはじめ、多くの識者から ザハ案に対する批判が相継いだ。 曰く 「背が高すぎるし、規模も大きすぎて、神宮の風景にあわない」 とか 「予算を無視した絵にすぎない」 という批判の嵐。
政府も、最初は 「時間がないから‥‥」 と 予算問題などを逃げる予定だったらしい。 だが 世論の反撃に抗しきれず、ザハ案をキャンセルして、白紙撤回にしてしまった。
そして 設計・施工を一括にした日本チームのA案とB案に絞り、村上周三委員長とする 7人の委員会で610点対602点という 8点という僅差で、A案が選ばれた。 このA案チームは、大成建設と隈研吾+梓設計チーム。 B案は竹中・清水・大林の施工大手3社と伊東豊雄+日本設計チーム。

私の大好きな隈研吾氏と伊東豊雄氏が、A組とB組に分かれたので、困ってしまった。 困ったのは私だけではなかった。
この著は、7章からなっている。 最初の4章で 隈研吾氏がA組に巻込まれた経緯と、新国立競技場という公共施設で、本格的に木を採用する意義を縷々述べている。 そして5章で大成建設の山内会長、6章で梓設計の杉谷社長が登壇し、編集者と対談している。 そして最後の7章で、著者の隈氏と茂木健一郎氏が対談し、ざっくばらんに いろんなことを述べているが、これはなかなか読ませる。
その中で茂木氏は次のようのに発言している。
「僕個人としては、隈さんに決まって良かったなと素直に思っている。 しかし伊東豊雄さんとも親しいので、B案に決まっても、それはそれで順番として良かったのかな、と思っていた‥‥」 と本音を述べている。
まさしく、私と同じ感想を持っていたことに、ビックリ。

ともかく、1964年の東京オリンピックは、新幹線と高速道路の完成というおまけまでついて 日本が先進緒国へ仲間入りすることが出来た記念碑。
それと同時に、まだ10歳だった隈氏は、父親に連れられて国立代々木競技場の体育館を見て 丹下健三氏の鮮やかな建築に感動して、その場で建築家になることを決めている。
ともかく、戦後の建築家で最初にコンクリートという素材を自在に使った筆頭は丹下氏。 そして1964年の東京オリンピックで美しい大屋根の代々木体育館を実現させ、多くの人々の共感を 呼ぶとともに、1913年生れの丹下氏は戦後の建築界の第一世代の雄として輝いた。
丹下健三と言う建築家は、単に自己主張するだけではなく 大型建築物が持つ 「公」 という意味を誰よりも深く理解していた。 建築物というものは、カッコ良いだけではなく、コミュニティのよりどころにならないといけないという、本質が分かっている貴重な存在。
そして第二世代が、彼の教え子である 槇文彦氏 (1928年生れ)、磯崎新氏 (1931年生れ)、黒川記章 (1934年生れ) の3氏。 筆者は敬意をこめて 「丹下先生の3弟子」 と呼んでいるが、槇氏は都市性、磯崎氏は芸術性、黒川氏は大衆性を備えた達人。 しかし丹下氏は、1人で3人の弟子を上回る才能を備えていたとベタ褒め。
筆者の分類によると、第三世代が共に1941年生れの安藤忠雄氏と伊東豊雄氏。 そして、第四世代が隈研吾氏 (1954年生れ) をはじめ、妹島和世氏や坂 茂氏などということになる。

しかし、1980年から神宮外苑に事務所を構えてはいたが、新国立競技場の設計に 携るようになるとは、隈研吾氏は夢にも考えていなかった。 国際コンペの開催は知っていたが、応募条件として「ブリッカー賞やアメリカ建築協会のゴールドメダルを獲得者、あるいは 大規模スタジアムの実績がある者」 という条件がついていたので、最初から 「お呼びでない」 と考えていた。
ところが、ザハ案が却下された時、突然に大成建設から、「一緒にやりませんか」 と声がかかってきた。 筆者は、「呼ばれたらやる」 という基本姿勢を貫いている。 つまり、自分から売込んだり、押しかけたことは一度もない。
声がかかった時、「喜んで引受けます」 とは言ったが、残された時間はわずか2ヶ月半。 通常、最低でも4~6ヶ月の余裕があるのに‥‥。
時間がない中で、建築家が変な自己主張を始めたら、あっという間に締切がきてしまう。 確かに創造性も大切だが、創造性を発揮できる風通しの良い 「場」 をつくることがより重要。 メンバー間に信頼性がないと、コミュニケーションが成立たず、チームワークが生まれない。 このため初期のミーテングでは、もっぱら筆者は聞き役に徹している。

筆者が設計に際して、いつも意図してることが2つある。
1つは、なるべく 「建築の高さを低くしたい」 こと。 もう1つは、「地元の木材などの自然素材を使いたい」 ということ。
大成建設が筆者を選んだのは、「暗にこの2つの条件こそが、新国立競技場という場にふさわしいと考えたからではないか」 というのが憶測。
新国立競技場の設計要項には、観客席やフィールド、建物形状、環境保全や安全性など 細かく書かれている。 それらの条件を満たそうとすると、建物の高さを低くすることは容易ではない。
筆者は、個人的にサッカーやラグビー場を見てきたが、「このスタジアムはいいな‥‥」 と感じたことは1つもなかった。 どれも 「裏側」 がダメ。  裏側はコンクリートの骨組みのままで、悲しくなってくる。 したがって、裏側を良くしたかった。
しかもB案は客席が2層なのに対して、A案は3層。
ザハ案は高さか75メートルだった。
しかし、大成建設と梓設計の構造担当者に東大の稲山教授、東芸大の金田准教授という プロの構造屋によって、大屋根を支える構想の単純化と木と鉄を組合わせるハイブリッド化。 さらには、客席の各階の高さを切詰めることで、49メートル高に納まることが判明。
ザハ案の65%高に納まるという見通し。

この報告を受けた時、筆者はこの事業の成功を確信している。
ちなみに、解体前の国立競技場の天井高は、照明の上部で60メートル高だったという。 これに比べても20%も低い。
そして、新国立競技場の設計に当り、筆者が 自分で幸運だと感じている点は、建築関連の法規が変わり、この数年間で国産の木が大変に使いやすくなってきたこと。
単に法規面だけでなく、予算面やデザイン面、あるいは木材の不燃化や防腐面でも リーズナブルな素材としての認識が広がってきた。
しかし、木を使うことで価格が高くなり、予算面でオーバーしては全く意味がない。 そういった点で、筆者がもっとも気を使っているのは、地場の町工場で簡単に作れる木の素材を選ぶこと。 大断面集成材というのは、カッコ良いかも知れないが地場の町工場では作れない。
今回の新国立競技場に使うのは、外壁は一般に流通している10.5センチ厚の安いスギ材。 屋根は33センチのカラマツの小ぶりな集成材。 加工に特別な設備が不要で、簡単に入手出来る。
木造に拘る以上は、どこまでも国産材に拘りたいというのが筆者の態度。

私か不思議に思うことは、どうしてこれほどまで 筆者が 「コンクリート嫌いになったのか」 ということ。 本文をよく読んでみると、その原因は阪神淡路大震災にあることが分かった。
あの大震災で、コンクリートの高速道路が、根本からひっくり返ったことを、未だにトラウマに感じている。
私と故杉山先生が、神戸の被災地を見て痛感したのは、在来木造住宅のあまりにも脆弱さであった。 ツーバイフォー住宅はほとんど倒壊しておらず、ほぼ無傷。 しかし 在来木造のほとんどは通柱が折れ、1階が押し潰され、1階で寝ていたほとんどの人を圧死させてしまった。
正直なところ、「もう木軸住宅には、未来がない」 と感じた。
そして、阪神淡路と同じ震度7を記録した中越地震の烈震地・川口町。
ここは豪雪地帯で、神戸のような9センチの細い通柱ではなく、4~5寸の通柱を使っていた。 それなのに激震地では90%以上が倒壊していた。 豪雪地帯でツーバイフォー工法は採用されておらず、外壁に構造用合板を張ったスーパーウォール工法のみが、倒壊を免れていた。
そして、特筆すべきは豪雪地帯なので全ての1階は、ダブル配筋のコンクリートで作られていた。 このコンクリートの1階部分は、1つも損傷がなかった。
アメリカやカナダの東海岸地帯は、軒並みコンクリートの地下室や半地下室を持っている。
また、ハリケーン地帯でも、必ずコンクリートの地下室を持っていて、いざという時に命を守る場として、北米ではコンクリートの地下室、半地下室は不可欠な存在。

故杉山先生は、神社仏閣に木が使われ、それが永い寿命を持っているのは 当り前だと言っておられた。 木造を語る場合に、「神社仏閣を語る人間は、庶民の住宅の実態を知らない者だ」 と軽蔑しておられた。 そして、先生の研究の中心は、「在来木軸の中でも大貫工法」 に限られていたと言っても過言ではない。
阪神淡路大震災と中越地震後に出てきた木造住宅用の金物工法。 大手の住宅メーカーも軒並み採用しているらしいが、やたらに使用部材が多く、北米の耐震性や耐火性で安全なツーバイフォー住宅に比べて30%も高い。
住宅の寿命は、コンクリート造を含めて100年。
これに対する隈研吾氏の論理は、日本の神社仏閣からスタートしており、木造住宅の実態から離れていることが、私は懸念されてならない。




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2016年05月05日

「人や子供が、笑顔で集まってくる空間づくり」 とは ?



仙田 満著 「人が集まる建築」 (講談社現代新書 900円+税)

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私は1級建築士に囲まれて仕事をしてきた。
私の周辺には1級建築士様が、常に30人から40人は ゴロゴロしていた。 建設省住宅局や住宅金融支援機構の技術者をはじめとして、民間で 「建築士」 を 「業」 として食べている 諸氏は住宅会社の内外には無数にいた。
ご存知の通り、私は学校で建築学を学んだことはない。 したがって建築士の資格は、なかなか簡単には取れない。
資格がないのに、ツーバイフォー工法という新工法を 日本建築史上で最初にオープン化をさせるには、それなりの勉強と、1級建築士が持っている技術と常識を身につけている必要があった。
日本に無数の1級建築士さんがいる。
だが、誰一人として 北米やオセアニア諸国で100%の普及を見せている、プラットフォーム工法という耐震性の強い床盤工法や、206の通柱で吹抜空間を造るバルーンフレーミング工法を、日本へ紹介しょうとしてこなかった。
それだけではなく、防火性に優れた厚い石膏ボードで天井と壁を包むと言う 「ドライウォール工法」 を日本へ導入して、木質構造の致命的な欠陥である防火性能を、画期的に改善すると言う快挙を成し遂げようとする人材が、一人もいなかった。
自分の 「設計力」 の売込みという些事にかまけて、一番大切な仕事を放棄してきた。
これが 「1級設計士」 という名の、日本の個人主義者群。

よく冗談に、「私は特級建築士だ」 と言ったが、それは満更ウソではない。
というのは、「消費者の意見をよく聞いて プランを作成して、施主の予算枠内に見事に金額を抑えてきたので、契約になる確率がやたらに高かった。 無数に居る本物の設計士に依頼するより、ツーバイフォーのunoに依頼した方が、はるかに 契約が得られる」 ということを全ての営業マンが知っていた。 このためやたらに営業マンに引きまわされることになったが‥‥。
つまり消費者は、ツーバイフォー工法と在来木軸工法のメリットやデメリットは 何一つ知らなくてよい。「unoに任せておけば、耐震性と防火性で卓越したプランが、理想的な価格で得られる」と言うことが知れわたっていった。
とくにアパート建築においては、2階の床に38ミリのシンダーコンクリートを打ってくれるので、防火性だけではなく、2階の遮音性という面でもすぐれていて、クレームが皆無になるだけではなく、「価格はRC造よりも2割も安い」 という実績が知れわたって行き、ツーバイフォー工法 での受注はウナギ登り。
つまり、ツーバイフォー工法を武器に、どんな建築士にも 絶対に負けないという実績を積んでいた。 決して、オープン化に功績があったから、成約率が 高かったのではない。 設計士としての基本である 「施主の希望を100%を守ったから成約率が高かった」 のであり、そんな設計士がごく一部を除いて ほとんどいなくなってきている事実を嘆きたい。

何か、年寄りが昔の手柄話をしているようで、気分が冴えない。
そんな時、偶然にも4人の1級建築士が書いた本が出版された。 個人的に感心しなかった順に著書を並べると、次のようになる。
◎石井大一朗著 「これから面白い建築士の仕事」 (中央経済)
◎五十嵐太郎著 「日本建築入門」 (ちくま新書)
◎倉方俊輔・吉長森子・中村勉編著 「これからの建築士」 (学芸出版)
◎仙田 満著 「人が集まる建築」 (講談社現代新書)
このうち 建築士に関する2冊は、4月13日のネットフォーラム欄で 取上げている。 石井氏のものはコーディネーターとしての成功した自慢話で、それほど面白いものではなかった。 面白いのは4月15日の 「2×4協会が日本で最大の業界団体だった」 のブログ欄でも取上げたNOP法人・チームテンバーライズの11人の発言。 これは一読に値する。
五十嵐氏の 「日本建築入門」 は、資料を丁寧に調べていて 好感は持てるが、それ以上の期待を込めることは出来ない。
これに対して、抜群に面白かったのは、仙田氏の 「人が集まる建築」。
正直なところ、建築士が書いた本では 「血が騒ぐ」 ほどのものは得られないと諦めていた。
ところがこの本には、魂が吸いとられてしまった。

氏は、1968年に26歳の若さで「環境デザイン研究所」を起業している。
最初は、1級建築士の 誰もが考えるように、「自分の作品を作りたい」 との意慾で、菊竹清訓事務所で設計の方法論を学んで起業。 そして、起業するまでの26年間を 第1期と呼んでおり、1994年までの26年間を第2期、そして2020年までの26年間を第3期と呼んでいる。
現時点で74歳だが2020年には78歳になっている勘定。
その間、氏は単なる1級建築事務所ではなく、環境デザイン研究所として研究を重ねてきている。
とくに面白いのは、表紙に書いてあるように 「こどもの研究」 で実績を上げてきていること。
アメリカでは早くから、環境デザインの中心として取上げられてきたのが、「こどもの ための環境デザイン」。
建築はもちろんのこと、都市・造園・遊具・おもちゃなど すべての空間デザイン造りがその中心になっている。 筆者は、最初はモノや空間が主役だと考えていた。 ところが、途中から 主役はどこまでも生きているこどもであり、大人を含めて 人間を社会の中心に据えたデザイでなければと考え、「遊環構造」 と呼称するデザイン手法を開発。
氏が社会的に注目を集めはじめたのは、設立から18年経った 1980年代のことであり、「環境デザインとは社会に貢献するものでなければまったく意味がない」 と自覚したのは、第2期の終わり頃になってから‥‥。 50歳を過ぎてからだったと告白している。
この告白こそ、本著を単に自慢話に終わらせず、「環境デザインの指針」 としての異才を放っている由縁。

この著は、環境デザイン研究所が、発足以来48年間に亘ってデザインしてきた 各種の建築物の内容が、詳しく述べられている。 そのデザインの範囲は多岐に亘っている。 広島市民球場 をはじめとした 各種のスポーツ施設、ショッピングセンター、ドーム、医療施設、図書館、文化会館、科学館、博物館など23施設にも及ぶ。
しかし、その中で光っているのは、著者がこども施設造りのプロ と自称するだけあって、少年自然の家や児童センターや各種の幼保園。 こうした こども関係の環境デザインが7施設と、なんと3割も占めている。
私としては、こども関係の施設に絞って紹介したいところだが、それだと 「環境デザインは、こども関係だけだ」 と捉えられかねない。 これでは この著を紹介する意味が狭まるので、著者の選択にしたがって、①新広島市民球場、 ②ゆうゆうのもり幼保園、 ③秋田の国際教大図書館の3つに絞って、簡単に 「遊環構造」 なるものを 紹介したい。 舌足らずの点は、本著を読んで補管して頂きたい。

新広島市民球場
同氏は2004年に「こどものあそび環境」の講師として広島市へ訪れた。 終わった後で市役所の職員から 「球場を見てほしい」 と頼まれた。 老朽化している球場を建替える構想があり、ついでに専門家の意見を参考に聞きたいというまでのこと。 視察後、「この場所で建替えるとなると、250億円程度の費用がかかりますよ」 と答えただけ。
その後、建替えは無理と分かり、駅から600メートルの場所に新球場が建設されることになり、関わりの関係上コンペへ参加したら、21作品の応募の中の最優秀作品に選ばれた。 新広島球場の7つの遊環構造とは、抽象的だが次のようになる。
①回遊性があり、循環できること。  ②その循環が安全で、変化に富んでいること。 ③シンボル性が高い空間、つまり場があること。  ④その循環の中に、めまいを体験できるところがあること。 ⑤その循環は一様ではなく、ショートカットができる近道があること。 ⑥循環には大きな広場かついていること。 ⑦全体に無数の穴が空いていて、どこからでも入り込めるし、また逃げだせる空間であること‥‥。
これだけでは、大変に分かりづらい。
具体的には、3塁側はJRの線路に面はしており、外壁が低くなっているので、新幹線や在来線の乗客は、11秒間はグランドを覗き込めることが可能に。
また、この球場は公式戦がやっていない年間の1/3は、市民に無料で開放されている。 ジョギングや散歩コースにもなり、また グランドが見られるので、試合がなくても一周するだけで満足感が得られる。 そして、「今度は試合がある時にこよう」 ということになる。
もう一つ気を付けたのは、プレキャスト・コンクリート版 (PC版) を多用して、コストを90万円で上げたこと。
こうした相乗効果で、かつては90万人と言われた広島球場は、新球場になったら200万人の観客をコンスタントに集め、新球場の経済効果は年間200億円に及ぶと言われている。

ゆうゆうのもり幼保園
ご存知の通り、保育園は厚生省の管轄で、幼稚園は文部省の管轄。
ところが、横浜の「ゆうゆうのもり幼保園は、2つの機能が合わさった幼稚園でもあり、稚児が通う保育園でもある。
3歳児で1日当り1万3000歩程度歩くことが理想と言われているが、都会の子は 500歩ほどしか歩いていない。 こどもは8歳時になるまでに、遊びを通じて5つの機能を充実させる。
①つは身体機能。 こどもは群れで遊ぶことによって、体力と運動能力を発達させてゆく。
②つは社会性を身につける機能。 アメリカの作家のフルガム氏は、「人生に必要な知恵は すべて幼稚園の砂場で学んだ」 と言っているそうだが、ケンカや仲直りの大切さを学ぶのことも大切な社会性。
③つは感性という機能。 こどもの遊びの基本は、自然の中で生物の採集。 つまり、自然の変化や生死に出会うことによって、感性を育ててゆく。
④つは創造性。 遊びは楽しいもので、常に繰りかえされる。 その繰り返しの中で、偶然新しい発見や発明がある。 それが創造性というオマケ。
⑤つは挑戦性。 道端に丸太が転がっておれば、それに飛び乗り、バランスをとってどこまで行けるか挑戦する。 失敗しても何度も挑戦して、征服した時の喜びは絶対に忘れない。
ともかくのこどもの施設には、ワクワクする仕掛が大切。 1階の園児を庭に出られるようにするのは簡単。 問題は2階の園児。 大型遊具を設置して、滑降りられることも考えてやる。
さらに、内部の吹抜けを活用して、2階に大きくて丈夫なネットを敷いて、2階と3階の小屋裏を立体的に繋いである。 猫のように歩く場所と、思い切り転べる場所がある。
1階の保育園の園児は、ワクワクした気持ちで幼稚園児を見上げている。

秋田の国際教養大の図書館
秋田市の郊外に、県が買収した国際教養大 (AIU) がある。 在校生は1000人位だが、90%の学生はキャンパス内で暮らしている。 外人は毎年100人程度で、銀行・商社・政府関係からの応募も多く、就職率は100%。 したがって秋田以外の府県からの応募も多くて、地元に在りながら秋田県人には遠い存在であるらしい。
この図書館を、著者の環境デザイン研が請負ったのは2008年。
設立母体の当時の寺田県知事は、「秋田杉を使って建築すること」 を唯一の条件として課した。
著書の表紙の写真を見ればよく分かるように、木造建築で直径22メートルの半円形で、天井が12メートルと高い平屋建。
スウェーデンのオーデンプランによく似ているが、オーデンプランは円形であり、半円形の方が構造的に難しいとされている。 構造設計は若手の山田憲明治氏。 積雪1.5メートルの荷重に対抗するために、6本の秋田杉の太い傾柱を建て、15センチ角材を合わせた梁を2重に架けて、2段のフラット・ルーフを載せている。 野地には 3センチの厚い構造用合板を使って、なんとかギリギリながら鉛直荷重をクリアー。
そして著者は、図書館と書庫建築は原則としてフラットであるべきだとしていたのに対して、敢えて高低差90センチの段床を4段も設けている。 その必然性を滔々と述べているが、残念ながら私には理解出来ない。 そして、扇状に広がる大きな書庫を配置している。
蔵書は洋書が約5万冊に対して、和書が約2万7000冊。
雑誌は105冊で、新聞は10紙。視聴覚資料は約3300点。
365日、24時間オープンが売りの図書館。
学生だけでなく、地域の消費者にも貸出を行っており、年間の図書館の利用者は、延べで約25万人という。 
学期末には深夜の0時から朝の8時まで、平均300人/日が利用しているというから、かなりの賑わっている図書館と言うことになる。


posted by uno2016 at 20:39| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | 更新情報をチェックする

2016年03月30日

10数年前の「ソーラーサーキット」でさえ、これほどの“褒め言葉”



深谷賢司著「家族の健康を守る家」(PHP 1300円+税)

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著者は脳神経外科の専門医。
2005年に自宅を建てる前に、モデルハウス巡りをして、大手住宅会社の デザイン偏重主義や珍しい内外層建材を多用している 「目眩まし住宅」 に、疑問を感じた。
なぜなら、生まれた自宅を含めて、すでに木造1戸建てや 鉄骨造のアパート、鉄筋コンクリート造の官舎など、すでに8戸もの住宅に住んだ経験があり、どの家も寒く、しかもどの家でも結露が激しくて窓の内側はグッショリ濡れていた。 それだけではなく、引越荷物を出すとベットの下が水溜りのように濡れていたり、家具の裏側にはカビがビッシリと生えていた。
寒さのせいで 家族はよく風邪をひいたり、カビのせいで家族の多くがアレルギー症状を見せることも 珍しくなかった。 こうした根本原因の対策を、住宅メーカーの 営業マンに聞いても、納得できる返事に巡り合えなかった。
そこで、住宅関係の本を買い込んで、自分で猛勉強をすることにした。

福井県生まれの著者は、金沢大学医学部を1994年に卒業し、国家試験にも合格して 晴れて医者として金沢大学付属病院の脳神経外科に配属された。
ご存知のように、大学病院というのは非常に上下関係が厳しいところ。 若いドクターは見習として、ひたすらに教授の指示通りに動かなければならない。 下積み生活に耐えねばならない。
そして1年も経った頃に、やっとメスを持つことを 許されるようになる。 と同時に、やはり教授の指示で、あちこちの病院へ派遣されるようになる。 派遣先では先輩ドクターに密着して、さらに修業を重ね、腕を磨いてゆく。 
最近は、ここまでハードな指示は無くなったようだが、著者が 20歳台から30歳台の前半まではそれが当り前えに横行。
医学部を出て、医師免除をとれば、歯科と麻酔科以外はあらゆるジャンルの診察が行える。 内科でも外科でも、耳鼻咽喉科でもOK。 3~5年の経験で1人前になれる場合もある。

しかし、著者が選んだ脳神経外科というジャンルは厳しい。 生半可な知識や技術、経験値で患者さんと接することは許されない。
万が一、手術に失敗してしまえば、助けられる命も助けられないこともある。 失敗の仕方によっては、患者さんが一生歩けなくなる危険性もある。 それだけの重責を負う脳神経外科の世界ではこのような厳しい修業を、最低でも10年は積む必要があると言われてきた。
金沢医大が管轄する範囲は、北陸3県。 その中で 鉄骨造アパートや木造1戸建て、RCの官舎を含めて 以下の7ヶ所に派遣された。

①石川・金沢市  鉄骨造アパート  築20年以上
②石川・七尾市  RC造 官舎      築20年以上
③福井・福井市  木造1戸建て   築20年以上
④富山・高岡市  鉄骨造アパート  新築
⑤石川・金沢市  鉄骨造アパート  築5年
⑥富山・高岡市  木造1戸建て   築3年
⑦富山・富山市  鉄骨造アパート  築15年

結婚が早かった著者は、転勤に次ぐ転勤、引越しに次ぐ引越しにの度に、家族も一緒に引越し。 しかし、子供の数が3人を越えたあたりから引越作業が重荷になってきた。 つまり、30歳台の前半まではそれでも頑張ってきた。 だが、子供が次第に大きくなってくると、簡単に 「また引越しだ」 と言いにくくなってきた。 2001年に博士号をとった機会に、「大学病院を辞めて、どこか別の病院で働く」 ことを決意。
2003年に大学病院をやめて、京都・福地山市の小さな病院に移った。 その病院の内科の先生が京都の綾部ルネス病院に移ることになり、一緒に誘われた。 そして、福地山市でも木造1戸建ての借家に住んでいたが、副院長にも昇格したので、本格的にマイホーム計画に とりかかったという次第。

独学で住宅の勉強をしている中で、著者が覚えたのは、Q値とC値。 この言葉は、単に日本だけでなく、世界各国に通用する 「住宅の性能値」 を示す言葉。
どんなにデザインが良くても、豪華な建材を 使っていても、Q値とC値が低かったら、夏は暑い家になるし、冬は結露だらけの寒い家になってしまう。 このQ値とC値こそが、住宅の性能をピタリと表現するものだと筆者は確信。
ご存知のとおり、Q値は 「熱損失係数」 といって、外壁・天井・床・換気などの各部位から熱量を計算し、これを延床面積で割って熱損失を計算。  今まで東京などは2.7W/㎡K、北海道が1.6W/㎡Kというのが次世代住宅の基準で、札幌市では0.5W/㎡Kという すごい基準を作り、これが頭の中にに叩きこまれている。

ところが2013年に省エネ基準が改正され、Q値ではなくUA値 (外皮平均熱貫流率) で表現されることになった。 つまり 今まで床面積という限られた面積で表示していたものが、約3倍もの広さで割られる。 つまり、今までQ値が2.7Wであった東京のUA値が0.87Wと1/3以下になってしまった。 同じことで、北海道の1.6Wは、1/3以下の0.46Wということになる。
つまり、2.7Wと1.6Wでは大きな1.1Wと大きな差があるように感じるが、0.87Wと0.46Wでは、たった0.41Wしか違わない。 同じことで、鉄骨プレハブと高断熱木造は、4.0Wと2.7Wでは1.3Wも違うが、UA値だと1.35Wに対して0.87Wだから、たった0.48Wの差でしかない。
いかに、国交省の関係者が詭弁を使おうとも、明らかに プレハブなどの大企業に摺り寄った住宅局の醜さがクッキリ浮彫りにされている。 その住宅の性能の悪さを、Q値をUA値に 変えることによって、差を小さく見せる小細工以外の何物でもない。

C値というのはご案内の通りで、「隙間相当面積」。 1㎡当り何c㎡の隙間があるかでその家の隙間を測定する。 誰しも知っているように、隙間の大きな家は冬は寒いし、夏は外から高温多湿が遠慮なく入ってくる。 隙間の無い家ほど暖かくて涼しいことはネコでも知っている。
そのことに著者は気が付いた。 以来、筆者は住宅メーカーの説明会のある度に 「ところで お宅の住宅のC値とQ値はどのくらいですか?」 と、必ず聞くことにしている。
ところがある著名な住宅メーカーの営業の責任者の答えは、信じられないものだった。
「えっ! それはなんのことでしょうか? すみませんが、聞いた事がないので分かりません」
21世紀になったばかりの頃は、私などが騒いだので、東京の大手の営業マンは Q値とかC値についてはそれなりに知識があったはず。 だが福知山市では、まだ一般的には知られていなかったのであろう。 それにしても勉強していなさすぎると、著者は呆れている。

しかし、住宅を建てるとなると、その前に土地を手当てしなくてはならない。 併行して進めている中で、福知山・小谷産業が高台の良い土地を紹介してくれた。 その土地が気に入ったので、ついでにどんな家を建てているのかを聞いてみた。 そしたら、「ソーラーサーキットの代理店もやっているという」。 あまり聞いたこともない家だが、持論の 「その ソーラーサーキットというのは、Q値とC値はどれくらいなの?」 と、何1つ期待もせずに聞いてみた。
そしたら、営業担当の大槻氏が 「C値は1.0c㎡/㎡を目指していますが、実際には建築途中の計測では0.5c㎡/㎡程度の数値が出ています。 Q値については、設計時で2.0Wを目標にしています」 と言うではないか。
いままで、大手住宅メーカーに聞いても、まともに Q値やC値に対して正しく返答が出来なかったのに、田舎の小さな不動屋さん兼工務店が スラスラと答えてくれたことに対して、著者は感動して、一気に小谷産業ファンになってしまった。 そして、ソーラーサーキット工法を躊躇することなく選んでいる。
したがって、残念ながらこの著は 「ソーラーサーキット礼賛」 の著になってしまっている。 著者にもっと選択眼があったなら、ソーラーサーキット以上の 超高気密高断熱住宅が選択出来たのに、と惜しまれてならない。

著者が書いているように、ソーラーサーキットは外断熱で2重の通気層を持っている。 一つはいつも開いている通気層で、この通気層は北海道で開発されて 全ての高気密高断熱住宅に採用されているもの。 そして、夏期だけに開くもう一つの通気層を 内側に持っている。 メーカーの説明では、夏期に涼しい空気を通すため と言っているが、夏期は高温で湿度が高く、内部の通気層はやたらと工費を食うだけで、全く役立ってはいない。 もし、ダブルの通気層が役立つと言うことが分かれば、他の業者も一斉に採用するはず。 なのに、海外を含めて 誰一人として採用したいとは考えていない代物。
それよりも必要なのは、夏の除湿であり、冬期の加湿。
このことは、いまさら書くほどでもない。 すべての読者は熟知済み。
そして、カネカがソーラーサーキットを売出した時点で、Q値がカネカよりも優れていたカナダのQ値が1.2~1.4WのR-2000住宅が売出されていたし、新住協では文字通りキュー・ワン (Q-1.0) 住宅を売出していた。 いずれも、Q値・C値ともソーラーサーキットを上回っていた。
しかし、それを施工出来るビルターが地場に居なかったということだろう。
それどころか、数年前からドイツで大流行の 「パッシブ・ハウス」 が日本でも売出され、日本の高気密高断熱住宅というと、Q値は0.8W以下で、C値は0.3c㎡/㎡以下が常識になってきている。
国交省が定めたトップランナー方式の1.9WというQ値に拘っているのは、性能が出せないプレハブなどの大手メーカーばかり。

だから、その低性能が目立たないように、UA値などという小細工をやると共に、政府のあらゆる書類から 「気密性」 という最も大切な性能を抹殺してしまった。
これをやった大手プレハブメーカーと国交省住宅局のメンバー全員が、頭を剃って国民に詫びる必要が絶対にある。
そして、残念ながらカネカも深谷氏も、その性能の低さを恥じて、少なくともR-2000住宅なみにまで、性能を上げる義務があると、私は確信するのだが‥‥。 


posted by uno2016 at 10:59| Comment(0) | 書評(建築・住宅) | 更新情報をチェックする
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