2016年03月25日

現場に明るい3氏が「復活した日本の物作りの生産性の高さ」を語る。



中沢孝夫・藤本隆宏・新宅純二郎鼎談「ものづくりの反撃」 (ちくま新書 820円+税)

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この3氏の中で、福井大経済学部の中沢孝夫氏は、中小企業の専門家。 著作は3冊程度だが読んでいた。 また日経、朝日、NHKでも活躍していて著名。 しかし、東大の経済学教授の藤本氏と新宅氏は知らなかった。 藤本氏は自動車などものづくりの著書も多く、新宅氏は2014年に行った電機連合の調査では中心的に関わった一人で、物作りには詳しい。
つまり、3人とも製造業が好きで、日本は今後においても貿易を左右するのは、どこまでも製造業が主流である貿易財系だ、と考えている。
アメリカのように、製造業がダメになっても コンピューター業が勃発し、製造業にとって変わると言うようなことは日本ではあり得ない。 つまり、日本では金融とか情報サービス業はそれなりに大きくなっても、カネを稼げる産業になるとは考えていないということ。
貿易財系の製造業こそが日本を救うと確信している。

ひところ、私などは 「あんなに輝いていたかに見えた日本の半導体や、テレビ、白物家電では、韓国や台湾だけでなく中国にも追い抜かれようとしている。 もはや、日本国内では製造業は成立たないだけでなく、海外へ出て行ったメーカー達も、軒並み負けてしまうのではなかろうか。 日本という国は、今後どうなって行くのだろう‥‥」などと、あらぬ心配ごとで 安眠出来ない日が続いたことがあった。
つまり、「製造業は人件費の安い後発諸国に一任して、日本は金融とか サービス業に必然的に移管してゆかなければ、生きて行けない国」 になるという一部の人が唱えることに、何となく同調していた。
しかし、この著を読んで安心した。
日本のメーカーは、中国などの各国へ出て行ったことによって、日本の生産性を どこまで上げれば、国内のメイン工場が維持してゆけるかが分かった。 本来は、韓国のサムスン辺りが、そうした情報を公開していてくれれば 良かったのだが、こうした内密の情報を公開する企業というのはあり得ない。
日本が中国や、タイ、インドネシアに工場を建てたことによって 得られた情報というのは実に貴重なもの。

ベルリンの壁が破られ、東西の連戦が終わったのは1990年。 この時、南北問題の壁も破れた。
そして、日本のすぐそばに人件費が日本の1/20という中国が出現した。 このため、ほとんどの企業が1990年代に中国へ工場を建てて進出した。 しかし、賢明な日本の現場長は、日本の工場をすべて閉鎖して中国などの東南アジアへ移すことをしなかった。
こうして、「マザー工場」 は日本に残された。
しかし、人件費だけが日本の工場へ押し寄せてきた訳ではなかった。 100円を切る 円高という為替変動も、同時に日本のメーカーを直撃した。 こうして、1/4世紀にも亘って 貿易財である製造業を苦しめた。
この時、日本の 「マザー工場」 は、火事場のバカ力を発揮してくれた。
たしかに、中国に工場を持って見て、初めてべらぼうに安い賃金で、どんな人が 雇用出来るかが分かってきた。 また、動き始めた中国工場の実際の生産性を測って見ると、予想以上に生産性が低いことが分かってきた。
設備投資をした以上は、中国工場の生産性を上げ、利益を確保しなくてはならない。 そのためには何をなすべきかということが、「マザー工場」 ではわかってくる。
と同時に、日本の地方にある 「マザー工場」 とは言っても、実質地場の中堅工場に過ぎない。
いつ親会社から 「閉鎖」 を叫ばれるかも分からない。 その閉鎖を避けるには、今の生産性をどこまで上げたら、中国企業に対抗してゆけるかも分かってきた。

著者らが訪問した企業では、各自1~2万社にも及ぶが 2000年過ぎからトヨタの工場で行われていた 設備投資をしなくてもラインの改善などによって、生産性が2年で2倍、3年で3倍、5年で5倍、10年で8倍という高い生産性をあげる企業が続出してきた、という。
調査したのは以下の10項目。
①独自製造技術  ②量産立上げ ③新製品提案 ④外部不良率 ⑤顧客満足度 ⑥柔軟な生産能力 ⑦生産性 ⑧納期 ⑨新製品投入回数 ⑩製造コスト の10項目。
これを、国内のマザー工場と 中国以外の外国73社、と中国拠点の比較47社で調べたところ、なんと⑩の製造コスト以外の9項目では、圧倒的に国内のマザー工場が 勝っていた。 つまり9勝1敗という成績。 そして、特筆しなければならないのは、中国だけではなく世界各国と比べても国内のマザー工場の価格が安いという企業が10%も占めていた。 これには、3氏も驚いていた。
つまり、10勝0敗という成績の企業が、日本には誕生してきていた。

この結果を見て、つくづく考えさせられた。
というのは、住宅の坪単価。
アメリカでは価格を安くするために、おそらく大都市周辺では70%近くが分譲住宅だと思う。
そして、日本のように土地を持っていて、フリー・デザインの住宅の占める比率が 10~15%程度になってきているのではないかと推測。
つまり、一期に30~40戸まとめて建てる分譲住宅形式でないと、価格が安く出来ない。 従ってアメリカでは分譲住宅ブーム。 しかも、コストを切り下げるために、一期に30~40棟をまとめて建てているし、プレハブ化による生産性の向上も高い。
日本では、建築労働者の動きを徹底的にチェックして、貿易財系の製造業のように、2年で2倍、3年で3倍というような生産性向上運動が起こしたためしがない。
日本の消費者の住宅に対する拘りにやたらと配慮して、外国資本が 乗出してこれないことに安住して、価格は一向に下がらない。
つまり、国際競争力を本当に経験していない。 その住宅産業界のひ弱さが、この本を読んでいてやたら気になった。

さて、この著書ではドイツ型物作り論として 「インダーストリー4.0」 とか 「IoT」 とか 「AI」 を俎上に乗せて議論しているが、やはり参考になったのは、元気のよい電機系の日本の工場の2つの共通点。
1つは、単に工場だから 「ものを作ればよい」 というだけではいけない。 つまり 製造工場の設備設計力や開発・設計力を持っている会社が強いと言うことが良く分かった。 販売力まで持つ必要はないが、顧客からの クレームを聞く 「カスタマー・サポート・センター」 を近くに持っている工場は強い。 製品にフィード・バックするなど、誰に何を売るのか、という視点を持っている工場ほど強い工場はないと感じた。 つまり、日本の製造業の強さは、その辺にあることが明確になってきた。
それと、電機連合のアンケート調査で、海外工場ではなく、国内の マザー工場に間における現場力の違いは何によるものかという原因分析も行っている。 その結果、優れた現場力は、「見通し、風通し、見える化が進んでいる工場だ」 というキーワードが浮かんできた。

「見通し」 というのは、職場の中のあらゆる階層で、10年後の会社の姿や自分の姿が前向きに描けているか、否かというもの。 もちろん、全てが描いた通りにはならないが、「この職場は10年後も続いていて、その中で自分がどんな役割を果たしていると読み取れたら強い力になる。 これはホワイトカラーに限らず、ブルーカラーにも共通している。
「風通し」 は、横だけではなく縦のコミュニケーションの度合いを測るもの。 リーダーとワーカーが話した場合、その提案をリーダーが取上げ、その上の課長と どれだけコミュニケーションしてくれるか? あるいは怖くてものが言えない雰囲気か? といったこと。
最後の「見える化」 は、いわゆる標準化、ルール化。
この3つについて聞いた訳だが、やはり良い職場は3つとも高かった。
この調査は電機業界が対象だったので、先行きが不明で 事業戦略が描けず、トップも中堅も自信喪失の時代で旗の振り手がない。 その中でも、こっちに行けば出口がありそうだと、リーダーが率先して引張っていた現場は、皆が前向きで、しっかりした成果を出していた。
工場長自身が営業マンになって、顧客開拓に走り回っている現場は、全員が それを支えようと活き活きとしていた。

辛酸の苦労を舐めた電機業界の工場では、パトロンの存在価値が大きかったかもしれない。
その工場の出身の経営者とか、そのエリア出身のパトロンとしての経営者が いたことで、本社が簡単にその地域の工場を閉鎖出来なかったこと。
しかし、皆で生産性を上げてきた 日本の現場力の強さは、中国もインドも、タイ、インドネシアも分かってきた。 どの国も日本に学んで、生産性を上げていって貰わねばならない。 そして、人口減少に向かう日本は、これからは世界の大企業を目指す必要はない。
一体感を持った仲間意識と信頼感で、世界から一目置かれる存在になって行けば良い。
貿易財系の製造業というのは、そんなものだと知ることこそが肝要だと、3人の筆者は声を大にして叫んでいる。

久しぶりに、ワクワクする本に出逢えたことを感謝したい。




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2016年03月10日

少子化で、百貨店・スーパーや電車、住宅建築が減少して行く!



竹本遼太著「コンビニ難民」(中公新書 820円+税)

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昨日 (9日) の日経新聞では、セブン&ホールデングが不採算のそごう柏と西武旭川の百貨店を9月末で閉鎖し、イトーヨーカ堂のスーパー店も今年の2月中には20店も閉鎖すると伝えている。

このところ新設住宅の着工が不振で100万戸を割っているが、建設経済研と経済調査会は本年度は96万戸を超えると予想。 一方、住宅金融支援機構は 10万戸少ない86万戸強と予想。 矢野経済は翌2016年度は83万戸になると予想。 野村総研にいたっては、2030年には 53万戸にまで落ちるとの長期予測。  それにしても、昨日の日経の経済欄では大東建託は3月期の決算で利益が100億円ほど上回り初めて1000億円を越すとか、東建コーポの純益が2倍になる予定だとか、まるで住宅不振がないかのような景気の良い話ばかり‥‥。

堺屋太一氏が 「団塊の秋」 に書いたように、2020年の東京オリンピックの年に セ・パに分かれていたプロ野球が、観客動員数の減少から 1リーグ8チームになったたけではなく、サッカーにいたっては、ひところ40チームを誇ったJリーグが24チームに減った、と書いている。
つまり、今までの拡張路線一本槍だったバブル景気時代の夢を捨て、プロ野球から 脱落するチームが出るのは当然のことだと考えねばならなくなっている。
少子化というのは列車が間引かれて10両編成が8両編成になるとか、5分間隔が8分間隔なるとか、あるいは市町村が消えるとかという時代が到来することを意味している。

ところが、そういった減少ブームが続く中にあって、唯一 日本発のコンビニストアだけはこれからも成長を続けると力説しているのが本著。
故渥美俊一氏の 「売上げ100倍を目標にしているのがスーパーストア理論だ」 を聞いたとき、アメリカ発でスーパー業界を指導している理論の精緻さとダイナミックスさに圧倒された。
それまでは NAHB (全米ホームビルダー協会) を中心とする地道な 「生産性向上運動」 以外に、日本の国民を 「低性能・高価格住宅から解放する方法がない」 と信じていただけにショックは大きかった。
たしかに アメリカ郊外のショッピング・センターで、凄まじい勢いで急展開しているスーパーは脅威的な存在。

一方、アメリカの郊外では 「共有地の多いコミュニティづくり運動」 が始まったばかりで、スーパー理論を直接住宅業界へ持込もうと考えているホームビルダーは、ほぼ不在。
「住宅には住宅のやり方がある」 と達観して、地道な生産性向上運動に取組んでいた。
つまり、アメリカの住宅産業界には、売上を100倍に増やすことを考えるスーパーのようなモデル企業は存在していなかった。 あったのは全米ホームビルダー協会参加の4.4万人のホームビルダー達で、年間5~25棟をこなす地場ビルダーが57%を占め、年間51~500棟以上をこなしているホームビルダーは43%。  平均年間建築戸数は、地方の事情を反映して25棟。 
だが、ロスやサンフランシスコの大都市周辺では、1期に30~40棟の分譲団地づくりが増加していたのは事実。
つまり、分譲方式の住宅供給が主力で60%を占めていて、残りの40%は 土地を持ったているが、プランはビルダーないしはプレハブ業者のプランから選ぶ人が20%。 日本で主流を占めている高価な特別注文住宅は、やっと20%を占めていただけ。
もちろんこれは50年前の資料で、最近はプレハブ化がより進み、同時に特別注文住宅が激減してきているはず。

この著書で強調しているのは、アメリカ産の百貨店やスーパーが 完全に下り坂にかったのに対して、日本産のコンビニは5.5万軒を突破して、月に14億人の人を集めるまでになってきているという事実。
たしかに、アメリカの郊外には1万5000㎡以上 (約4500坪) のショッピングセンターがあって、メイン・テナントとしてスーパーが入っている。 道路網と自動車を中心としたアメリカ的な社会を示す風景。
これに対して、日本人が考え出したコンビニは1300㎡ (約400坪) と小さい。 
ところが数がやたらに増えて現在では約5万5000軒にも。 そして、月に約14億人の人間が押寄せている。
そして、かつて1980年台のコンビニは若者の店であった。 6~7割が20歳台で 占めていた。 この時は深夜の若者の騒動やバイクで、近所迷惑な存在。

ところが、2013年に20歳台よりも50歳台が多くなり、現在では40歳台を含めると客層の60%が中高年層が占めるようになってきている。
この背景には、単に食料品や飲料などの物品を買うだけでなく、 いち早く銀行のATMを設置して預金、引出、振込が出来るようになり、宅配便や郵便の受付、公共料金や税金の納入、さらには住民票や印鑑証明の発行と言う行政サービス、コピー印刷、航空券、医薬品、認知症サポート、公衆無線LAN、外国語パンフレットの設置なとの各種のサービスを始めたことが大きい。
郵便局の支店は2.4万と変わらず、ガソリンスタンドは約4万軒へと1/4減。 
その中にあって、かつての迷惑施設から、無くてはならない 「インフラ・ライフライン施設」 に変容したのがコンビニ。

今やコンビニは単なる小売業にはとどまらない。 金融や行政などのサービスを提供する社会インフラになりつつある。
そして、今後ますます高齢化が進めば、高齢者の買物難民化が進み、コンビニがその買物難民に大きく貢献するのではないかと言うのが、本著の最大の特徴。
とくに75歳以上の後期高齢者になると、運転免許をもっているのは3割しかない。 今までは車で買物にゆけた人も、買物難民となる。
そして、後期高齢者の歩行距離は分速60メートルで5分と仮定した。 つまり、半径300メートル以内にコンビニがないと、買物難民になるという勘定。 坂道があったりして、往復600メートルが限界だろう考えたわけ。
それでどれくらいの高齢者が 「コンビニ難民」 になるかを調べたら、高齢者の6割がコンビニ難民になるという結論に‥‥。 
単身高齢者と高齢者夫婦2人だけを数えても800万人以上となり、これから20~30年後を考えると、2000万人近くにもなる。
とくに過疎化が進んでいる山村部と、ニュータウンを抱えた郊外都市の2つの地域が問題になってくる。

筆者は全国の市町村を調べて、コンビニの有無を調べると共に、問題になる地域をピックアップしている。
そして、コンビニ難民を減らすために、筆者は3つの提案を行っている。
しかし、人口密度から考えると、コンビニの数は6万店が限界ではないか、という意見も一部から聞かれる。 もちろん、後継者不足からシャッター街になるのをコンビニが防いでおり、その社会的な存在意義はますます高まるという意見もあるのだが‥‥。
そして、コンビニ業界だけを眺めた3つの提案では心細い。 後期高齢者のことを考えると、質の高い住宅と環境が大切。 さらに、大災害時には、逃げやすい街づくりということも平行して考えねばならない。
それには、コンビニ業界といった狭い範囲で考えるのではなく、地方自治体を巻き込んだ広い場を設けて検討することが必要だと痛感させられた。

いずれにしてもこの著は、分かりやすく、しかも大きな問題を投げかけている。


posted by uno2016 at 13:15| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする

2016年03月05日

平均年齢36.4歳の若い5人の杜氏+蔵元が、酒蔵を継ぐ話!



山内聖子著「蔵を継ぐ」(双葉社 1400円+税)

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私は地震に対して異様なまでの感覚を持っている。 それは2004年の直下型の中越地震を経験しているから。 その前の阪神・淡路の直下型地震も被害は酷かった。 たしかに鉄筋が入っていない基礎があったり、通し柱は3.0~3.5寸が通常。 このため、ほとんどの通し柱が折れ、在来木軸は1階が軒並み押潰されていた。 被害者には申し訳ないが、私は材木屋と工務店の無知がもたらした人災に見えた。
これに対して、豪雪地の中越は1階がほとんどRC造で、被害がほとんどなく、通し柱は4~5寸。
それなのに、震度7強の烈震地の武道窪では17戸のうち倒壊していないのはスーパーシェルの1戸だけ。 倒壊率は94%。 また田麦山では、100戸のうち倒壊していないのは10戸だけで倒壊率は90%に達していた。
このため、直下型の地震の怖さを、嫌というほど知らされた。 しかも首都圏では30年以内に70%の確率で直下型が襲ってくるという。 そして、前から 「南海トラフ地震」 のことが叫ばれている。 この時、岩波新書が山岡耕春著の「南海トラフ地震」を発刊した。 この内容を熟読し、各県の被害状況も調べたものを、ブログとして記載したいと考えていた。
ところが、わが女房殿がそのブログを見て、「いまさら南海トラフ地震のことを書いても、誰が読むのてすか」 とのたもうた。
そこで、今朝から急いで書き始めたのがこのブログ。 ところが、掲載する時に間違えて、全部消してしまった。 あわてて書き直しているところだが、そんな訳で夕方になることをお許しいただきたい。

この著は、今どき酒蔵を継ごうと言う、30代の若い女性1人を含めて、5人を取材しているもので、大変な感銘を受けたもの。
本来は、この本を紹介するのではなく、私が地場でホームビルダーを引き継ごうとしている若い人々の姿を取材すべき。 
しかし、第一線を退いた私には、若い人々を紹介するチャンスがない。 残念ながら私には、若きビルダーが活躍している現場を捉えることが、難しくなってきている。
紹介する記事があったら、最優先で紹介したいと考えているのだが、この本のように、喜んで跡を継ごうという若者に巡り会うような建築関係の本に出逢えない。 この著作は、ビルダー業界にも共通する問題点が含まれている。 
したがって5人全部を紹介したいところだが、それでは表皮的になるので、福島・会津若松市の宮泉銘醸の宮森義弘氏だけにしぼって紹介したい。

宮森氏は、小学生の時から、「将来は酒蔵をやりたい」 と思っていたと言う。
たしかに、今は世界的に日本酒がブームになってきているが、宮森氏が小さい時は、日本酒の需要が廃れ、斜陽産業だと言われていた。
「子供だから、酒が飲めるわけではない。 小さい時から酒蔵で遊んでいたし、酒蔵を経営してみたかった」 という一心だけ。 そして、小学生の時に、将来宮森氏の右腕となってくれる同級生の山口武久氏を口説き落としている。
「私は将来、酒蔵を経営したいと考えている。 その時には、山口氏も協力して欲しいと考えているのだが‥‥」 と話し、山口氏の約束を得ているから凄い。 山口氏は、現在は製造部長。
「これは」という直感力を持っていたと言うしかない。 これに対して、「ただ単純に、この人と一緒にいたかっただけ。 理由はないけど、その方が2人とってもいいことがあるような気がしただけ‥‥」 という。 そして、中学・高校と同じ学校だったが、宮森氏は東京の大学へ行き、山口氏は仙台の専門学校へ行っている。

大学を卒業し、福島へ帰ろうと相談したら、父親から、「少し待ってくれ」 と言われた。
酒の売れ行きが思わしくなく、会社が赤字のためらしい。
しかし、地元の金融機関は、売れ残った酒も資産として評価してカネを貸してくれる。 つまり、タンク10本が残っていても、負債として勘定するのではなく、売れれば1億円になると評価してくれる。 このため、酒蔵経営の改善が大幅に遅れていた。
帰ってはいけないというので大手企業に就職していたが、母親までが 「跡は継がなくてよい」 と言いだした。 小さい酒蔵で苦労するより、大企業で楽に暮らした方がよいという親心が言わせたもの。
しかし、宮森氏の やいのやいという催促に、「跡は任せる」 といって父が帰宅を承認したのは4年後で、宮森氏が27歳の時。
「跡を任せる」 とはカッコ良いが、実際は父親ではどうにもならぬところまで追込まれたから、責任を一方的押付けたまでのこと。
任された宮森氏は、まず不必要な経費の削減から始めた。 例えば駅前の月々10万円を払っている看板の撤去など。 一歩も引かずに努力した甲斐があって、翌年は6年ぶりに黒字に転換。
この結果を見て、全社員が新社長に協力的になってきた。 
逆境の中で成果を出し、「達成感が得られるのは苦痛ではなく、楽しいことだ」 という若社長の評価は次第に高まっていった。

同社の、主力商品である 「寫楽」 は、新社長が就任した後で、宮森家の本家筋の東山酒造が廃業した時に、譲渡されたもの。 ただし、「寫楽という銘柄名は受け継ぐが、味は替える」 と新社長は公言していた。
宮森氏は、学生時代の冬休みには、いつも酒造りを手伝っていた。 そして、終われば杜氏さんや蔵人とわが社の酒は飲んでいた。 酒が旨いと感じたことは一度もなかった。
「俺はジントニック派で、日本酒はおじさんたちの飲物」 と割切っていた。
ところが、福島へ帰ると決まった時、送別会を開いてくれ、初めて福島産の「飛露喜(ひろき)」
を味わった。 
それは、それまでの日本酒に対するイメージを180度変換させるものだった。
「いままで飲んでいた日本酒は、一体何だったのか?」 と価値観がガラリと一変させるほどの内容を持っていた。
「こんなにうまい酒があったとは? 一体どんな人が造っているのか? どうしても造り手にあって見たい」 と熱望するまでになっていた。 
子供の時の酒蔵の経営に対する関心から、味作りに関心が移行した瞬間でもあった。

宮森氏が「飛露喜」の廣木健司氏に会ったのは、「福島・清酒アカデミー職能開発校」の入学式の懇親会。 駆け寄って、「話をさせて下さい」 と挨拶したら、「君と話すことはない。 これから先も、ずっと無いはず‥‥」 だと言われてしまった。
つまり、今までの宮泉銘醸だと、ほとんど普通酒や本醸造しか造らず、純米はタンク13本あっても1本あれば良い程度。 そんな蔵の息子と話しても意味がない。 会うだけ時間のムダたと言われたということ。 それほど廣木さんは蔵の経営と日本酒造りに命をかけて挑んでいた。 
しかし、そんなことを言われても怯む男ではない。「この人ともっと話が出来る人になりたい」 と対抗心がムラムラ。
そして、「飛露喜」の蔵への通いはじめたが、中を見せて貰えたのは3年すぎのこと。
そして、独学で「寫楽」の開発に勤しんだ。
「俺の日本酒の基本は完全に《飛露喜》。 だが、廣木氏に聞いたことも、相談したしたことも一度もない。 途中から自分で旨い酒とは何だろう? と自問しながら酒造りをしてきた」 と語っている。 つまり、廣木氏は、どこまでも研鑚の相手であり、良い意味でのライバル。

「寫楽」 が完成したのは2007年 (平成19年)。 当初は、県外への販売は全く考えていなかったという。 「タンク1本からスタートしたこともあり、営業活動は全く行っていなかったから」。「寫楽」が3造り目を迎えた頃、「仙台日本酒サミット」へ初出品した。 そしたら、初登場にも関わらず3位に入賞。 業界内で話題になり、全国の酒販店から注目されることになった。
そして、翌年は1位を獲得すると知名度はグングン上がり、マスコミからも注目を集め、「若手の新星」と謳われて人気は日に日に高まっていった。 いわゆる営業の努力なしに全国に販路ができて、生産が追い付かないほどの人気商品に。
宮森氏が、思いを込めて造った酒は、それに比例してファンがどんどん増えている。

2011年の忘れられない東北大震災に宮泉銘醸も被害を受けているが、2014年の世界の最多が参加する日本酒だけのコンテスト「SAKE Competition 2014」 で、純米酒、純米吟醸の部で1位になるという金字塔を打ち立てた。
この表彰式の式場で、廣木氏が「福島の酒は凄いでしょう。 若手が頑張ってくれました」 と言いながら「寫楽」を注ぐ姿かあったという。

福島の蔵継は理想的に回転蒸しているらしい。

posted by uno2016 at 19:42| Comment(0) | 書評(その他) | 更新情報をチェックする
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